2022年の旧暦お正月おめでとうございます。 この機会に…というわけで、ブログを一新。 「天孫氏シリーズ」を一旦終了することにした。 再開への道筋は、薄っすらだが、見えている。 話はまた日向王子の三輪山や六甲山へ繋がると。 阿陀比賣神社(奈良県五條市)に参った頃から、 隼人(南九州の古代人)に対する認識が変わった。 そこには隼人の鵜飼伝承があり、吉野川(紀ノ川) を西に下れば、竹内宿禰に所縁の宇智神社があり、 さらに下れば祖神・火闌降命を祀る二見神社がある。 隼人は大和朝廷に服属したというが、真実なのか。 吉野川沿いの「隼人移住地」で海人文化の名残りに 触れ、自主的移住もあったのではないかと思った。 隼人が金鉱採掘民ならば、移住は生業だろうと、 吉野川と丹生点の合流地にある二見神社で思った。 海を航り火の山を渡ったのが、隼人と呼ばれた民。 火の山=光る山脈。吉野川も六甲山もそうだった。 1月の久高島では、カベール岬で勝連半島を眺めた。 第四紀(260万年〜)に「うるま変動」が起こる まで陸地だったという中城湾が、目の前に広がる。 いま見えている海は海に沈んだのだ。↑写真の フレームから外れた久高島の北東に津堅島がある。 語り部によれば、戦前生まれの神女おばあたちは 津堅島にまつわる、ある歌が伝えていたという。 「うちゃがてぃどぅ見ゆる ちきんくだか(津堅島と久高島)」 「うちゃがてぃどぅ見ゆる」は首を傾けて上を見ること。 津堅島と久高島を遠くから見上げる時代があったと。 どうもその伝承と中城湾の陥没は関係があるようだ。 陥没が「発見」されたのは、1980年代のはじめ。 琉球大などによる調査で、海面下に琉球石灰岩の 断層があることが分かった。もし陥没がなければ、 中城湾は、陸上100〜150mの山だったというのだ。 ※木崎甲子郎・著『海に沈んだ古琉球』より拝借 著者で元琉球大教授の木崎氏は、こう記している。 その地域の古い川を遡ると、崖の上で途絶えている。 つまり、元々の上流は中城湾の中央にあったのだと。 地図からは、「うさちあがりゆー(御先東世)」 と伝承された久高島と津堅島の間に断層が窺える。 そう言えば、津堅島は東に傾いていると聞いた。 久高島と玉城は、南東に傾いているとの話もある。 久高島のカベール岬は、アマミキヨの渡来伝承の 残る聖地だが、南九州の海人(ヤマトから隼人と 呼ばれた民)が、島伝いに渡来した可能性はある。 北上ばかりではない、逆の南進もあったはずだと。 というわけで、 次回からは「今来」のアマミキヨ追跡を始めます。 時は鎌倉、源頼朝の従兄弟である為朝の渡来から。 源為朝の子で琉球初代王・舜天にまつわる伝承は、 ↓ヤハラヅカサのある「藪薩の浦」の近くにも残る。 ちなみに陥没しなかった玉城台地へは水源を辿れる。
by utoutou
| 2022-01-31 20:47
| 天孫氏
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