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天孫氏は火の一族〈124〉いったん終了

2022年の旧暦お正月おめでとうございます。
この機会に…というわけで、ブログを一新。
「天孫氏シリーズ」を一旦終了することにした。

再開への道筋は、薄っすらだが、見えている。
話はまた日向王子の三輪山や六甲山へ繋がると。

阿陀比賣神社(奈良県五條市)に参った頃から、
 隼人(南九州の古代人)に対する認識が変わった。

そこには隼人の鵜飼伝承があり、吉野川(紀ノ川)
を西に下れば、竹内宿禰に所縁の宇智神社があり、
さらに下れば祖神・火闌降命を祀る二見神社がある。

  隼人は大和朝廷に服属したというが、真実なのか。
 吉野川沿いの「隼人移住地」で海人文化の名残りに
 触れ、自主的移住もあったのではないかと思った。

  隼人が金鉱採掘民ならば、移住は生業だろうと、
  吉野川と丹生点の合流地にある二見神社で思った。

  海を航り火の山を渡ったのが、隼人と呼ばれた民。
  火の山=光る山脈。吉野川も六甲山もそうだった。


  1月の久高島では、カベール岬で勝連半島を眺めた。
 第四紀(260万年〜)に「うるま変動」が起こる
  まで陸地だったという中城湾が、目の前に広がる。
天孫氏は火の一族〈124〉いったん終了_a0300530_10063756.jpg






 いま見えている海は海に沈んだのだ。↑写真の
フレームから外れた久高島の北東に津堅島がある。

語り部によれば、戦前生まれの神女おばあたちは
津堅島にまつわる、ある歌が伝えていたという。

「うちゃがてぃどぅ見ゆる
ちきんくだか(津堅島と久高島)」

「うちゃがてぃどぅ見ゆる」は首を傾けて上を見ること。
 津堅島と久高島を遠くから見上げる時代があったと。
 どうもその伝承と中城湾の陥没は関係があるようだ。

陥没が「発見」されたのは、1980年代のはじめ。
琉球大などによる調査で、海面下に琉球石灰岩の
 断層があることが分かった。もし陥没がなければ、
 中城湾は、陸上100〜150mの山だったというのだ。

天孫氏は火の一族〈124〉いったん終了_a0300530_13151404.png
※木崎甲子郎・著『海に沈んだ古琉球』より拝借


著者で元琉球大教授の木崎氏は、こう記している。
中城湾の周囲は、一見して急崖が取り巻かれている。
その地域の古い川を遡ると、崖の上で途絶えている。
つまり、元々の上流は中城湾の中央にあったのだと。

 地図からは、「うさちあがりゆー(御先東世)」
 と伝承された久高島と津堅島の間に断層が窺える。

  そう言えば、津堅島は東に傾いていると聞いた。
  久高島と玉城は、南東に傾いているとの話もある。


久高島のカベール岬は、アマミキヨの渡来伝承の
残る聖地だが、南九州の海人(ヤマトから隼人と
呼ばれた民)が、島伝いに渡来した可能性はある。
北上ばかりではない、逆の南進もあったはずだと。

  というわけで、
  次回からは「今来」のアマミキヨ追跡を始めます。
  時は鎌倉、源頼朝の従兄弟である為朝の渡来から。

 源為朝の子で琉球初代王・舜天にまつわる伝承は、
   ↓ヤハラヅカサのある「藪薩の浦」の近くにも残る。

   ちなみに陥没しなかった玉城台地へは水源を辿れる。
天孫氏は火の一族〈124〉いったん終了_a0300530_10062064.jpg



by utoutou | 2022-01-31 20:47 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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