人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球国初代王・舜天〈1〉源為朝の「異説」

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観ていると、
主人公の北条義時(小栗旬)より、その義兄の
源頼朝(大泉洋)を、つい応援する気になるのは、
琉球初代王・舜天が頼朝の従兄弟にあたるからか。
琉球国初代王・舜天〈1〉源為朝の「異説」_a0300530_07493822.png
※ 北条義時(左)と源頼朝(右)NHKサイトから拝借



琉球王朝の編纂による正史『中山正鑑』は、
(頼朝の伯父)源為朝が、大里按司の妹を娶り、 
琉球国初代王・舜天の父となった伝説を記す。

舜天は15歳で浦添按司となり、天孫氏25世の王
 を滅ぼした逆臣・利勇を討って中山王になったと。

ちなみに、頼朝の妻・北条政子の生年は1157年、
その弟の義時は1163年、舜天は1166年。
平安末期の世に生まれた同時代の人たちである。

近年、源為朝伝説に関しては諸説あったようだが、
あの「ヤブサと薮薩の御嶽」について語ってくれた
湧上元雄さんも、「異説」を唱えた学者の一人。

舜天(神名は尊敦=そんとん、そんとの)とは、
南薩摩から藪薩の浦原に渡来した豪族だったと、
湧上さんは、当地の御嶽伝承から紐解いていた。

約10年前、御自宅を訪ねると、こう語った。
「『東鑑』(鎌倉幕府の公的文書)によりますと、
源為朝を娘婿にした薩摩国阿多地方の豪族だった
阿多忠景が、平清盛に圧されて喜界島に逃亡したと
いう記録があります。尊敦(そんとん )は、その
一族の若武者、母は阿多君という説もある。そこで
  尊敦が為朝の子という伝説が生まれたと思うのです」


藪薩の浦原の上にある「藪薩の御嶽」からの眺め。
尊敦と阿多一族は、この地に渡来したのだろうか。
琉球国初代王・舜天〈1〉源為朝の「異説」_a0300530_11443349.jpg






 湧上さんの手元に、「これを遺言として書いた」
という原稿があった。南城市より市史の御嶽編
 にと依頼され、脱稿したばかりとのことだった。

そこに舜天(尊敦)の御嶽として記したのは、
玉城仲村梁にある喜名之御嶽(きなのうたき)。

ミントングスクに近い仲村梁集落の北端に位置。
 「喜名之御嶽」の名は『琉球国由来記』にも見え、
  その神名も「ソントンノマイケガオイべ」という。
(マイケガとは男、オイべとは神域の意味)

神霊の宿る威部(いび)石は、御嶽内の北北東
 に、つまり奄美や薩摩を遥拝する方向に位置する。

ソントンとは奄美でも「スントゥヌ」と呼ばれた
豪族の若手リーダーで、「太陽の王(てだこ)」。
阿多一族と源為朝の琉球渡来伝説が、琉球初代王
・舜天の誕生に至る、「異説」を生んだというのだ。


「喜名之御嶽」は、藪薩の浦原(現・百名ビーチ)
を眼下に見降ろす高台にある。いま公園となって
 いる丘の側に聞得大君の歩いたノロ道跡がある。
琉球国初代王・舜天〈1〉源為朝の「異説」_a0300530_16264423.jpg


琉球王朝時代、「喜名之御嶽」へは、聞得大君
が東廻り(あがりうまーい)の際、玉城ノロ
や垣花ノロの案内で拝礼していたとも伝わる。







by utoutou | 2022-02-03 13:37 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 琉球国初代王・舜天〈2〉若てぃ... 天孫氏は火の一族〈124〉いっ... >>