NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観ていると、 主人公の北条義時(小栗旬)より、その義兄の 源頼朝(大泉洋)を、つい応援する気になるのは、 琉球初代王・舜天が頼朝の従兄弟にあたるからか。 ![]() 琉球王朝の編纂による正史『中山正鑑』は、 (頼朝の伯父)源為朝が、大里按司の妹を娶り、 琉球国初代王・舜天の父となった伝説を記す。 舜天は15歳で浦添按司となり、天孫氏25世の王 を滅ぼした逆臣・利勇を討って中山王になったと。 ちなみに、頼朝の妻・北条政子の生年は1157年、 その弟の義時は1163年、舜天は1166年。 平安末期の世に生まれた同時代の人たちである。 近年、源為朝伝説に関しては諸説あったようだが、 あの「ヤブサと薮薩の御嶽」について語ってくれた 湧上元雄さんも、「異説」を唱えた学者の一人。 舜天(神名は尊敦=そんとん、そんとの)とは、 南薩摩から藪薩の浦原に渡来した豪族だったと、 湧上さんは、当地の御嶽伝承から紐解いていた。 約10年前、御自宅を訪ねると、こう語った。 「『東鑑』(鎌倉幕府の公的文書)によりますと、 源為朝を娘婿にした薩摩国阿多地方の豪族だった 阿多忠景が、平清盛に圧されて喜界島に逃亡したと いう記録があります。尊敦(そんとん )は、その 一族の若武者、母は阿多君という説もある。そこで 尊敦が為朝の子という伝説が生まれたと思うのです」 藪薩の浦原の上にある「藪薩の御嶽」からの眺め。 尊敦と阿多一族は、この地に渡来したのだろうか。 ![]() 湧上さんの手元に、「これを遺言として書いた」 という原稿があった。南城市より市史の御嶽編 にと依頼され、脱稿したばかりとのことだった。 そこに舜天(尊敦)の御嶽として記したのは、 玉城仲村梁にある喜名之御嶽(きなのうたき)。 ミントングスクに近い仲村梁集落の北端に位置。 「喜名之御嶽」の名は『琉球国由来記』にも見え、 その神名も「ソントンノマイケガオイべ」という。 (マイケガとは男、オイべとは神域の意味) 神霊の宿る威部(いび)石は、御嶽内の北北東 に、つまり奄美や薩摩を遥拝する方向に位置する。 ソントンとは奄美でも「スントゥヌ」と呼ばれた 豪族の若手リーダーで、「太陽の王(てだこ)」。 阿多一族と源為朝の琉球渡来伝説が、琉球初代王 ・舜天の誕生に至る、「異説」を生んだというのだ。 「喜名之御嶽」は、藪薩の浦原(現・百名ビーチ) を眼下に見降ろす高台にある。いま公園となって いる丘の側に聞得大君の歩いたノロ道跡がある。 ![]()
by utoutou
| 2022-02-03 13:37
| 琉球王
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