「舜天の生母、大里按司の妹とは誰か?」と、 旅の途中から考えていたが、確信に近づいてきた。 やはり大山祇神を始祖とする阿多君の姫なのかもと。 阿多氏について考察したことは、初めてではない。 以前、「アマミキヨのレイライン」でたっぷりと。 先日は「若てぃだ(太陽の王)」で、 阿多忠景の名が出た。平安末期の阿多郡司だった。 琉球ゴホウラ貝の加工所があった日置郡金峯町の人。 日宋貿易で繁栄、大陸との貿易の要地・太宰府と の関係を深め、鎮西八郎為朝に娘を嫁がせたという。 忠景自身は、妃が阿多君という伝承がある。 ところが、隆盛を誇りすぎたか、平清盛に圧迫されて 鬼界島(琉球)に逃亡。源為朝とともに南下した。 近年は逃亡したのではなく、お咎めのない土地へと 移動しただけだったのでは? との説もあるようだ。 1160年頃、阿多忠景の名が史書から消える。 為朝が琉球に漂着したのは'65年。時代は一致する。 その話を伝えたとき、語り部は言ったものだった。 「南薩摩から来た阿多氏ならば、琉球に先祖帰り したのではないかと思います。阿多とは、ヤマト 神話で瓊瓊杵尊が娶った木花咲耶姫こと阿多津姫 のいた土地。姫の生んだ三兄弟は、ヤマト神話では 皇室の祖、そして隼人の祖です。忠景の妻が阿多君 なら、むしろ琉球に渡るのは、自然の成り行きかと」 三山時代の島添大里グスク跡(南城市大里)。 正殿跡の南西に三山時代前からの集落があった。 ![]() ギリムイグスク(写真左下)が、三山時代より以前 の天孫氏時代の集落と伝わる。そのエリアに、 ソントンの生母のものと伝わる「ウミナイ墓」がある。 島添大里グスク前の説明板から地図部分のみ拝借。 ![]() 上写真の右端・大里城ミーグスク(展望台)近く から、馬天港や、知念半島の斎場御嶽を一望。 ![]() 旅の最後、語り部に那覇で会うと、言った。 「島添大里を拠点として大里按司を出した一族。 ひょっとすると、その大里一族こそ、阿多氏だった のかもしれません。実は最近、思い出したのです。 大里から南部に向かって、玉城の船越・富里・糸数 の辺りに、阿多一族がいたという伝承があった。 戦前まで〝あたん口〟という集落もあったと聞きます」 東京に帰り、阿多氏についてあれこれ調べると、 語り部のと同じ伝承を『玉城村・富里史』で発見。 そこには、「阿多君」の名が記されていたのである。 〜ソントンの母の阿多君は伯父の居城のウネ城で 死別した〜 ウネ城とは島添大里城のことらしい。 つづく…。
by utoutou
| 2022-03-17 12:38
| 琉球王
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