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琉球国初代王・舜天〈9〉母は阿多君?

「舜天の生母、大里按司の妹とは誰か?」と、
 旅の途中から考えていたが、確信に近づいてきた。
 やはり大山祇神を始祖とする阿多君の姫なのかもと。
 
阿多氏について考察したことは、初めてではない。
以前、「アマミキヨのレイライン」でたっぷりと。

先日は「若てぃだ(太陽の王)」で、
阿多忠景の名が出た。平安末期の阿多郡司だった。
琉球ゴホウラ貝の加工所があった日置郡金峯町の人

宋貿易で繁栄、大陸との貿易の要地・太宰府と
の関係を深め、鎮西八郎為朝に娘を嫁がせたという
忠景自身は、妃が阿多君という伝承がある

ところが、隆盛を誇りすぎたか、平清盛に圧迫されて
界島(琉球)に逃亡。源為朝とともに南下した。
近年は逃亡したのではなく、お咎めのない土地へと
移動しただけだったのでは? との説もあるようだ。

1160年頃、阿多忠景の名が史書から消える
為朝が琉球に漂着したのは'65年。時代は一致する。

その話を伝えたとき、語り部は言ったものだった。

「南薩摩から来た阿多氏ならば、琉球に先祖帰り
したのではないかと思います。阿多とは、ヤマト
神話で瓊瓊杵尊が娶った木花咲耶姫こと阿多津姫
のいた土地。姫の生んだ三兄弟は、ヤマト神話では
皇室の祖、そして隼人の祖です。忠景の妻が阿多君
 なら、むしろ琉球に渡るのは、自然の成り行きかと」


三山時代の島添大里グスク跡(南城市大里)。
正殿跡の南西に三山時代前からの集落があった。
琉球国初代王・舜天〈9〉母は阿多君?_a0300530_20580200.jpg






ギリムイグスク(写真左下)が、三山時代より以前
の天孫氏時代の集落と伝わる。そのエリアに、
ソントンの生母のものと伝わる「ウミナイ墓」がある。
島添大里グスク前の説明板から地図部分のみ拝借。
琉球国初代王・舜天〈9〉母は阿多君?_a0300530_21000579.jpg






上写真の右端・大里城ミーグスク(展望台)近く
 から、馬天港や、知念半島の斎場御嶽を一望。
琉球国初代王・舜天〈9〉母は阿多君?_a0300530_21042215.jpg






 旅の最後、語り部に覇で会うと、言った。


「島添大里を拠点として大里按司を出した一族。
ひょっとすると、その大里一族こそ、阿多氏だった
のかもしれません。実は最近、思い出したのです。
大里から南部に向かって、玉城の船越・富里・糸数
の辺りに、阿多一族がいたという伝承があった。
 戦前まで〝あたん口〟という集落もあったと聞きます」


東京に帰り、阿多氏についてあれこれ調べると、
語り部のと同じ伝承を『玉城村・富里史』で発見。
そこには、「阿多君」の名が記されていたのである。

〜ソントンの母の阿多君は伯父の居城のウネ城で
 死別した〜 ウネ城とは島添大里城のことらしい。
つづく…。 


by utoutou | 2022-03-17 12:38 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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