先月の旅では、舜天ソントンに所縁の地である 「牧港テラブのガマ」へも。浦添城跡から車で3分。 国道58号の牧港南交差点から港向けに入った右手。 ところが、何度か行きつ戻りつしても、見過ごして しまい、カーナビの指示で着いた工場の敷地内で 社員さんにたずねても分からなかった「史跡」。 〈説明書きの要約〉 12世紀後半に琉球に来た源為朝は、大里按司の 妹と結婚して男の子が生まれたが、為朝は浦添 の港から船に乗り帰郷した。残された妻子はこの ガマで為朝の再来を待ちわびた。待ち港が転じて 牧港に。男子・尊敦は、王位に就き舜天となった。 ↑母子の後ろ姿を見てガマに入れば、内部は拝所。 舜天がここで崇められてきた長い年月が偲ばれた。 しかし…と、ここからが前回の続きになるのだが、 舜天ソントン伝説にも、源為朝が登場しないもの がある。玉城富里(南城市)の八幡一郎氏が伝え、 中山俊彦氏が『玉城村富里誌』(平4年)に収録。 〈以下要約〉 ☆ソントンは伯父の阿多氏と母の阿多君と共に九州 から南進。琉球本島・今帰仁の運天港に着いた。 (父は九州で他界、ソントンは母の実家で育った) ☆平地が少ない北部から東海岸の久高島に廻った。 知念岬から上陸し伯父は与那原近くの高地(※島添 大里か? )に築城。母は伯父のウネ城で他界した。 ☆ソントンは別の大里村(※島尻大里か)を作った。 ☆ 玉城丘陵に移り玉城城を築いた。城下町は神体の 筑紫玉にちなんで玉村と呼ばれ、玉城になった。 ☆一族は佐敷新里を経て中頭から国頭地方へと進出。 ☆晩年のソントンは首里を都に祭政一致を貫いた。 ☆舜天の語源は「首里(すい)天 / 統(すい)天」。 「ソントンの道」を、大まかに本島南部に記した。 赤丸はソントンの御嶽のある場所など。詳細次回に。 赤矢印(左上)は浦添の牧港「テラブのガマ」辺り。 この伝承では、ソントンは父とも母・阿多君とも 死別するので、牧港で為朝を待つこともなかった。 終始一貫、阿多氏とソントンの琉球渡りの物語だ。 さらに興味深いのは、この伝承が玉城富里という 第一尚氏に所縁の土地で語り継がれていたこと。 伝承した八幡一郎氏は尚泰久王の長男末裔という。 「為朝は琉球に来なかった」説に立つこの伝承は、 琉球第二尚氏の編纂した『中山世鑑』の逆をいく。 薩摩平氏だった阿多氏を、第一尚氏の裔が伝えた。 どちらも歴史の敗者という共通点がある。ただ、 ちょっと腑に落ちない点が、なきにしもあらず…。
by utoutou
| 2022-03-21 13:51
| 琉球王
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