玉城富里(南城市)のソントン伝説から窺われる 「源為朝が来なかった説」のどこが腑に落ちないかと いうと、富里には「為朝を崇める拝所」があると聞く からだが、富里のソントン伝説に為朝は登場しない。 玉城グスク一の郭から奥武島を眺めたのは数年前。 奥武島橋の北西(写真右下あたり)一帯が、富里。 ![]() 為朝は琉球に来のか、来なかったのか、どっち? ということで語り部にたずねると、即答があった。 「富里の伝説では、為朝を隠してしているんですよ」 「来なかったんではなく、隠している…なぜ?」 語り部は続けた。 「富里には、尚泰久王など第一尚氏のお墓があります。 第一尚氏王統が八幡信仰だったことは、最後の国王 ・尚徳王の神名が八幡之按司だったことでも分かります。 そして八幡神と言えば、源氏の守り神。源為朝は源氏。 富里の伝えは為朝を隠しているとしか考えられません」 言われてみれば、確かに、 富里の近くには「あたん口」という阿多氏に所縁の 地もあったのだから、第一尚氏の王陵が首里池端町 の天山陵からここに移されたと言う経緯からは、 あたん口・阿多氏・ソントン・第一尚氏・八幡神 →「為朝は来た」という流れが、逆に導かれそう。 第一尚氏王統最後の尚徳王が祀った安里八幡宮 (那覇市)祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命。 ![]() 為朝は隠されていると言う語り部は、以前の ブログにも書いた通り「為朝は来た」と視ている。 第一尚氏の末裔が源為朝の存在を隠した理由は、 為朝を琉球国初代王・舜天の父だと『中山世鑑』 に著した第二尚氏による、攻撃を恐れてのことか。 すると、次に、もうひとつの疑問が浮かんでくる。 第二尚氏の摂政・羽地朝秀による舜天物語が阿多氏 を隠したのには、では、どういう理由があったのか? 玉城富里にある番所公園。第二尚氏時代に、 玉城城にあった番所を移転させた場所という。 ![]()
by utoutou
| 2022-03-24 14:33
| 琉球王
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