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琉球国初代王・舜天〈13〉藤原道長の銅鏡

舜天の国王即位がなぜ1187年だったのか?
島津家初代当主・島津忠久が、源頼朝から島津荘
の地頭職に任命され、次に薩摩・大隅・日向3ヶ国
の守護職に任命されたその年が、1187年だった。

同年なのは、『中山世鑑』の成立が、琉球が薩摩
侵攻(1609年)で幕藩体制に組み込まれた数十年後の
 ことなので、薩摩側に忖度したのだろうと思っていた。

 しかし、語り部の意見はもう少しハッキリしている。
「琉球国初代王の即位が島津氏の薩摩入りよりも早い
  時期であってはならないという、圧力だと思います」

確かに『中山世鑑』の舜天王紀には、長い前置き
がある。「舜天尊敦と申し上げるのは、大日本
人皇五十六代の清和天皇の孫…略…六条判官為義
の八男、鎮西八郎為朝公の男子であらせられ」と。

琉球がヤマト(薩摩)より歴史のある国であっては
ならない…と考えると、思い出すことがある。舜天
大里)で、戦後のお墓掃除の際に偶然見つかった
という、「菅原道長の名入りの銅鏡」のことだ。
琉球国初代王・舜天〈13〉藤原道長の銅鏡_a0300530_13234960.jpg







舜天の墓の周辺から、戦後、人骨と水晶の勾玉と
銅鏡が見つかった(※『食栄森』2010年)という
 が、この発見があまり話題にならないのはなぜか?
琉球国初代王・舜天〈13〉藤原道長の銅鏡_a0300530_13245792.jpg







摂関・藤原道長(996〜1028年)の銅鏡がいつ、
誰の手によって持ち込まれたのかは分からない。

とはいえ、舜天時代の150年も前の銅鏡が出た
  事実は、ヤマトとの交流があった秘史を窺わせる。

舜天の墓とされる食栄森御嶽の威部へは、石の
アーチを潜り石段を登っていくが、私が参った
'14年には、このように外から拝むかたちだった。
琉球国初代王・舜天〈13〉藤原道長の銅鏡_a0300530_13432134.jpg





 現在はボーントゥ墓(宝珠の形の石を載せた墓)
の前まで進み拝礼できるという。アーチ、石段、
 宝珠の墓、石灯籠のデザインはかなりヤマト風だ。

 ここには、舜天即位前に南九州から南下して来た、
 若てぃだソントン族の残影が漂う。それにしても、
藤原道長の銅鏡は、いまどこにあるのだろうか?







by utoutou | 2022-04-03 14:12 | 琉球王 | Trackback | Comments(2)
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Commented by utoutou at 2022-04-07 08:48
> 2924_a31さん
こんにちは。石灯篭はボーントゥ墓の向かって右に、アーチ石門の両脇に。計3台ですね。
Commented at 2022-04-08 10:31
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