食栄森(いいむい)御嶽(南城市大里南風原地区) に参ってみた。ちょうど予定していた那覇に滞在中、 藤原道長の名の刻まれた銅鏡について記されている という記念誌『食榮森』の発行元である南風原地区 の自治会に連絡をすると、新年度のため役員の方々が 在館しており、閲覧させていただくことができた。 自治会館から徒歩3分、まず、何年かぶりに御嶽へ。 御嶽の周辺は農村公園として綺麗に整備されていた。 晴明(シーミー)前に清掃したという。幸運だった。 ※晴明とは新暦4月5日ごろに行う墓前祭のこと。 ![]() 舜天の墓とも言われる食栄森御嶽へのアーチ門 を潜り階段を登り切ると暮石のある聖域に出られる。 アーチ門の左右に石灯籠が立つが、新設された神屋 との距離が近すぎて、アーチ門の全景は捉えられない。 ![]() さて、 戦後、舜天の墓から出たという「菅原道長の銅鏡」 について「ボーントゥの中は?」の題名で説明がある。 ※ボーントゥとは経筒の形の墓という。梵筒のこと? (以下要約) ☆終戦直後、壊れたボーントゥ墓の修理をするために 開けると中に人骨と水晶(直径1㎝)と銅鏡があった。 ☆鏡の裏には、「藤原道長」の名前が刻まれていた。 ☆伝承では鉄扇もあったが、見つからなかった。 ![]() ボーントゥとは経筒の型をしたお墓。梵筒か? ![]() ![]() 編集当時、教員だった宮城さんは、地区の人たち から、銅鏡を含めて御嶽に関する伝承を聞いたが、 残念ながら、実際にお墓の掃除をして銅鏡を見たと いう人たちは、その時点で既に他界していたという。 私は聞いてみた。 「こちらは舜天の墓ということで間違いないですか」 宮城さんは、肯定も否定もしなかった。 「言い伝えではそうですが、本当かどうかは…」 分からない、末裔という家も聞いたことがないと。 ボーントゥ墓は舜天のものでないかもしれない。 とすると、いったい誰のお墓なのだろう…?
by utoutou
| 2022-04-07 15:47
| 琉球王
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