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琉球国初代王・舜天〈14〉銅鏡は再び墓の中

食栄森(いいむい)御嶽(南城市大里南風原地区)
に参ってみた。ちょうど予定していた那覇に滞在中、
藤原道長の名の刻まれた銅鏡について記されている
という記念誌『食榮森』の発行元である南風原地区
の自治会に連絡をすると、新年度のため役員の方々が
在館しており、閲覧させていただくことができた。


自治会館から徒歩3分、まず、何年かぶりに御嶽へ。
御嶽の周辺は農村公園として綺麗に整備されていた。
晴明(シーミー)前に清掃したという。幸運だった。
※晴明とは新暦4月5日ごろに行う墓前祭のこと。
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舜天の墓とも言われる食栄森御嶽へのアーチ門
を潜り階段を登り切ると暮石のある聖域に出られる。
アーチ門の左右に石灯籠が立つが、新設された神屋
 との距離が近すぎて、アーチ門の全景は捉えられない。
琉球国初代王・舜天〈14〉銅鏡は再び墓の中_a0300530_12484131.jpg








さて、
戦後、舜天の墓から出たという「菅原道長の銅鏡」
について「ボーントゥの中は?」の題名で説明がある。
※ボーントゥとは経筒の形の墓という。梵筒のこと?

(以下要約)
☆終戦直後、壊れたボーントゥ墓の修理をするために
 開けると中に人骨と水晶(直径1㎝)と銅鏡があった。
☆鏡の裏には、「藤原道長」の名前が刻まれていた。
 ☆伝承では鉄扇もあったが、見つからなかった。
琉球国初代王・舜天〈14〉銅鏡は再び墓の中_a0300530_12460996.jpg
やや螺旋がかった石段の先にお墓が見えてくる。
ボーントゥとは経筒の型をしたお墓。梵筒か?







『食栄森』の編集者で、現在は区長を務める宮城正
さんは言った。「銅鏡はお墓の中に戻したそうです」

遺物の考古調査などはせず、そのまま戻されたと。
その後いくつか事件もあったらしいが、いまは安置。

近年、銅鏡の専門家が訪ねて来て言ったそうだ。
「江戸時代から、京都に銅鏡を作る職人がいて、
菅原の名入りの銅鏡は日本各地で見つかっている。
そういった類の遺物ではないかと考えられる」
琉球国初代王・舜天〈14〉銅鏡は再び墓の中_a0300530_12493808.jpg







記念誌『食榮森』の「だれの墓なのか?」の項目には、
次のような解説がある(要約)
☆墓左の石碑には、「此に骨あり 世に遠くして
其人(そのひと)知らず、然れども祟りありて」と。
☆嘉慶二十年八月其散骨(そのさんがい)を此葬
(ここにほうむる)とある。※戦争で割れた。
※嘉慶二十年とは西暦1815年の第二尚氏王朝時代。
琉球国初代王・舜天〈14〉銅鏡は再び墓の中_a0300530_12495612.jpg







編集当時、教員だった宮城さんは、地区の人たち
から、銅鏡を含めて御嶽に関する伝承を聞いたが、
残念ながら、実際にお墓の掃除をして銅鏡を見たと
 いう人たちは、その時点で既に他界していたという。

私は聞いてみた。
「こちらは舜天の墓ということで間違いないですか」
宮城さんは、肯定も否定もしなかった。
「言い伝えではそうですが、本当かどうかは…」
 分からない、末裔という家も聞いたことがないと。

ボーントゥ墓は舜天のものでないかもしれない。
とすると、いったい誰のお墓なのだろう…?






by utoutou | 2022-04-07 15:47 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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