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琉球国初代王・舜天〈15〉宋の銅鏡

ボーントゥー墓(経筒型の墓)を中心に配置する
御嶽の形態は、県内でも他に見られないものだ。
いっぽう、御嶽の屋根の頂上部に宝珠を載せるのは、
南風原地区のほとんどの拝所で確認される特徴。

そのことから、「大和との関係が見えてくる」と、
南風原地区から発行の『食榮森(いいむい)』は、
大里村教育委員会などの見解を引用し、明記している。


「大和との関係」とは、いつの時代を指してのことか?
源為来沖の1165年か、舜天生誕の1166年か、即位
 の1187年か、崩御した1237年か? あるいはまた、
墓碑銘にある嘉慶20年(1815年)のことなのか?
琉球国初代王・舜天〈15〉宋の銅鏡_a0300530_14492155.jpg








ところで、食榮森御嶽のアーチ門の前には、
神屋が迫っている。その間隔は2mほどか。
香炉を拝めるスペースはあるが、アーチ門全景
 はスマホのカメラには収まらず、石段上から撮った。
琉球国初代王・舜天〈15〉宋の銅鏡_a0300530_14474859.jpg









かつて、神棚の位置には四阿(あずまや)があり、
神棚は、その前に立つ旧公民館の中にあった。
現在は四阿の位置に、神棚を納めた神屋が立つ。
背後にアーチ門と食栄森御嶽があるという配置。
つまり、神棚は村の守り神へのお通しとなっている
 わけだが、その真ん中にも銅鏡が安置されている。
琉球国初代王・舜天〈15〉宋の銅鏡_a0300530_14482039.jpg








普段、神屋は施錠されており拝観はできないが、
いわば御神体とも言える銅鏡の直径は、約20㎝。
「千子万孫」と刻まれている。「宋の時代のものと
  聞いている」と、宮城区長がおっしゃったとき、
 私は思わず、身を乗り出すようにして質問した。

「この字(あざ)に、南九州から渡来した平氏の
 末裔という家はありませんか? 名前は阿多さん」
 源為朝の舅とされる阿多忠景が脳裏に浮かんだ。
平安末期、阿多氏は、宋との私的貿易で財を成し、
南薩摩の棟梁となったが、平清盛に圧迫され逃亡した。

 しかし、区長は淀みなく、和かに答えたものだ。
 「阿多さんとか南薩摩…は聞いたことないですね」

 その翌日、那覇の古本屋で一冊の本を見つけた。
 奥里将建・著『沖縄に君臨した平家』。舜天王統
  は、南走した平家が打ち立てたと紐解いている。
つづく…。

  現在は、南風原農村公園となった旧公民館跡。
  建物が宋の銅鏡を祀る神屋、左が食榮森御嶽。
琉球国初代王・舜天〈15〉宋の銅鏡_a0300530_14455974.jpg























by utoutou | 2022-04-09 12:32 | 琉球王 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2022-04-10 08:32 x
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Commented by utoutou at 2022-04-11 01:52
> coconuts2924さん
こんにちは。よく、なぜ ? と思いながら歩いています。以前、奥宮に入りたいのですが…と、那覇市内の神社の社務所で聞くと、ビンシーを持たない人は入れないと言われたので、ビンシーを持たない考えで歩いています(まぁ一応そんな感じで)と答えたら、参拝が許されました。みんながお参りできる御嶽であって欲しいですね。
Commented at 2022-05-15 15:40
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Commented at 2022-05-17 06:15
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