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琉球国初代王・舜天〈16〉平家の南進

平安末期の公卿・九条兼実はその日記『玉葉』に
壇ノ浦で滅亡したはずの平家は南へと去った…と
綴っている。沖縄出身の国文学者・奥里将建氏は、
『沖縄に君臨した平家』(1966年刊)にそう記した。


東京に戻り、『沖縄に君臨した平家』を開いた
その4月10日の夜、『玉葉』の著者・九条兼実が
NHK『鎌倉殿の13人』に登場したので、パチリ。
 扮するはココリコ・田中直樹。かなりの名演だった。

木曽義仲が上洛して平家を追い出し、後白河法皇に
 謁見する場面。安徳天皇が持ち出した「三種の神器」
について諭している。「神世の昔からの宝物だ」と。
知らなかった義仲を嘲笑するような公家の表情(↓)
琉球国初代王・舜天〈16〉平家の南進_a0300530_07153669.jpg







そのくだりを、
国会図書館デジタルコレクション「玉葉・第3巻」
にて確認。右ページ上段最後〜下段1行目にあった。
文治三年(1187年)2月19日の条に、次のように。

〜平氏は讃岐の八島に帰り住んでいる。その勢三千騎
ばかり…。また維盛卿三十艘ばかり率いて南海を
 指して去って行った〜(原漢文を奥里氏が訳した)
琉球国初代王・舜天〈16〉平家の南進_a0300530_07165995.png







1187年といえば、舜天が琉球国中山王に即位した年。
同年、島津忠久が薩摩日守・地頭に補任されと書いた
 が、同年、平家の落人が南進していたということだ。

つまり、この年に琉球で起きた出来事は3点セット。
滅亡・平家が南進。源氏が薩摩の地頭に。舜天即位。

 2年前の1185年、壇ノ浦の戦いで源氏が勝利すると、
すぐさま島津(当時は惟宗)忠久は、頼朝の司令で
薩摩の下司職(地位の低い官吏)に就いていた。
それから薩摩の琉球侵攻まで、源氏の世は続いた。

 ゆえに、舜天は源氏でなければならなかった。
 源為朝渡来伝説は、やはり『中山世鑑』の創作か。

『沖縄に君臨した平家』の奥里将建氏も〝為朝は
来なかった〟説に立つが、当ブログの我々はまだ、
〝源為朝は来た派〟でいる。その訳は…つづく。


旅の最終日、平安座島(へんざじま)を訪れた。
道の駅あやはし館から、平安座島を望む。島には、
南進した平家が安徳天皇を祀ったとの伝承がある。
琉球国初代王・舜天〈16〉平家の南進_a0300530_07283151.jpg




by utoutou | 2022-04-13 20:23 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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