平安末期の公卿・九条兼実はその日記『玉葉』に 壇ノ浦で滅亡したはずの平家は南へと去った…と 綴っている。沖縄出身の国文学者・奥里将建氏は、 『沖縄に君臨した平家』(1966年刊)にそう記した。 東京に戻り、『沖縄に君臨した平家』を開いた その4月10日の夜、『玉葉』の著者・九条兼実が NHK『鎌倉殿の13人』に登場したので、パチリ。 扮するはココリコ・田中直樹。かなりの名演だった。 木曽義仲が上洛して平家を追い出し、後白河法皇に 謁見する場面。安徳天皇が持ち出した「三種の神器」 について諭している。「神世の昔からの宝物だ」と。 知らなかった義仲を嘲笑するような公家の表情(↓) 1187年といえば、舜天が琉球国中山王に即位した年。 同年、島津忠久が薩摩日守・地頭に補任されと書いた が、同年、平家の落人が南進していたということだ。 つまり、この年に琉球で起きた出来事は3点セット。 滅亡・平家が南進。源氏が薩摩の地頭に。舜天即位。 2年前の1185年、壇ノ浦の戦いで源氏が勝利すると、 すぐさま島津(当時は惟宗)忠久は、頼朝の司令で 薩摩の下司職(地位の低い官吏)に就いていた。 それから薩摩の琉球侵攻まで、源氏の世は続いた。 ゆえに、舜天は源氏でなければならなかった。 源為朝渡来伝説は、やはり『中山世鑑』の創作か。 『沖縄に君臨した平家』の奥里将建氏も〝為朝は 来なかった〟説に立つが、当ブログの我々はまだ、 〝源為朝は来た派〟でいる。その訳は…つづく。
by utoutou
| 2022-04-13 20:23
| 琉球王
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