平安座島(へんざじま、うるま市与那城平安座)は 綺麗な台形状の島で最高標高115.6m、与勝半島 から約5㎞、海中道路を走ると最初に出会う島だ。 交差点から右折して橋を渡った浜比嘉島から遠望。 島の右(北)に原油備蓄基地(45基ある)が見える。 北へ続いて宮城島、さらに伊計島へ道の島が繋がる。 ![]() ![]() ![]() 初めて平安座島に入ると、立派な亀甲墓エリア。 ![]() ![]() 平安座島の貝塚からも、青磁類が出土している。 ☆平安島対岸の屋慶名に近い薮内港から、南宋や 鎌倉への密貿易船が盛んに出入りしていたという。 ☆薮内とは、京都の西の郊外にある部落名である。 奥里氏がさらに平家・京都的な地名として挙げる のは、平良、平安山(北谷村)、波平(読谷村)。 他にも、高平、豊平、真栄平など「平」の付く地名 は、平家一門が本島の要所を押さえた証左だとする。 平家が南島に落ち延びたとは刺激的な説だが、1点 だけ理解に苦しむ部分があった。それは他でもない 「平家一門が舜天王統を打ち立てた」とのくだりだ。 壇ノ浦の闘い(1185年)では入水せず、救われた 安徳天皇が琉球に渡り舜天王になったという推理。 安徳天皇舜天説なら、その即位(1187年)のとき は8歳ということになり、舜天の年齢と合致しない。 これまで書いたように、その20年前の1165年、 あの源為朝と阿多忠景という「源平の船団」が、 平家の南進に先がけて渡来していたのだろうと、 「若てぃだソントン」に改めて思いを馳せている。 阿多氏は日宋貿易・南島交易で財を成す薩摩の 棟梁だった。琉球・薩摩・太宰府を繋ぐかたちの 「三角貿易」で、琉球各地に拠点があったようだ。
by utoutou
| 2022-04-20 10:31
| 琉球王
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Comments(1)
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> 匿名さん
こんにちは。火の神のことでしょうか。首里城の「おせんみこちゃ」に祀られていた御三物(おみつもん、おみちもん)のような御石ならば、火の神(ひぬかん)だと思います。ただ、火の神の定義は、薩摩侵攻の前後ですっかり変わったと言われています。侵攻後は、現在のように台所の神とされた、というか、本来の意味を隠す必要があったということだと思います。それ以前は「太陽・月・星」の霊力を受ける三石を火の神として崇めたようですね。
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