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琉球国初代王・舜天〈17〉平安座島の平家伝説

平安座島(へんざじま、うるま市与那城平安座)は
綺麗な台形状の島で最高標高115.6m、与勝半島
 から約5㎞、海中道路を走ると最初に出会う島だ。
 

交差点から右折して橋を渡った浜比嘉島から遠望。
島の右(北)に原油備蓄基地(45基ある)が見える。
北へ続いて宮城島、さらに伊計島へ道の島が繋がる。
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道の駅あやはし館の横に立つ「うるま市MAP」。
平安座島には、古来、サバニを組んだ平安座船
(へんざぶね)や山原(やんばる)船が就航した。
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上の写真を撮ったのは、平安島と橋で繋がる
浜比嘉島に入ってすぐ、アマミチューの墓の左。
拝所には、家族連れが晴明祭の拝みをしていた。
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 初めて平安座島に入ると、立派な亀甲墓エリア。
道を進むと与佐次川(ゆさちがー)と琉球国王
 も崇める聖川泉があったことを示す歌碑がある。
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〜ひゃんざ よさちかわて 〜と始まる「おもろ」 
の意味は、「平安座ゆさちがーに宝物玉を浄めて
 その宝物を我が国主に尚真王にささげん」という。
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さて、本題。平安島には、
「平家の落人伝説がある」と伝わるいっぽう、
それ以上の詳細については不明で、もどかしいが、
奥里将建氏の著『沖縄に君臨した平家』の「地名
から見た沖縄」の章には、平安座島とは文字通り、
平家の南進で付いた京都的地名だと記されている。

(以下要約)
 ☆平安座の島名には平安京との関係が考えられる。
☆勝連城趾から宋銭や青磁類が出土しているが
 平安座島の貝塚からも、青磁類が出土している。
☆平安島対岸の屋慶名に近い薮内港から、南宋や
 鎌倉への密貿易船が盛んに出入りしていたという。
 ☆薮内とは、京都の西の郊外にある部落名である。

奥里氏がさらに平家・京都的な地名として挙げる
のは、平良、平安山(北谷村)、波平(読谷村)。
他にも、高平、豊平、真栄平など「平」の付く地名
 は、平家一門が本島の要所を押さえた証左だとする。

平家が南島に落ち延びたとは刺激的な説だが、1点
だけ理解に苦しむ部分があった。それは他でもない
「平家一門が舜天王統を打ち立てた」とのくだりだ。

壇ノ浦の闘い(1185年)では入水せず、救われた
安徳天皇が琉球に渡り舜天王になったという推理。

安徳天皇舜天説なら、その即位(1187年)のとき
 は8歳ということになり、舜天の年齢と合致しない。

これまで書いたように、その20年前の1165年、
あの源為朝と阿多忠景という「源平の船団」が、
平家の南進に先がけて渡来していたのだろうと、
「若てぃだソントン」に改めて思いを馳せている。
 阿多氏は日宋貿易・南島交易で財を成す薩摩の 
棟梁だった。琉球・薩摩・太宰府を繋ぐかたちの
「三角貿易」で、琉球各地に拠点があったようだ。



by utoutou | 2022-04-20 10:31 | 琉球王 | Trackback | Comments(1)
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Commented by utoutou at 2022-04-29 09:41
> 匿名さん
こんにちは。火の神のことでしょうか。首里城の「おせんみこちゃ」に祀られていた御三物(おみつもん、おみちもん)のような御石ならば、火の神(ひぬかん)だと思います。ただ、火の神の定義は、薩摩侵攻の前後ですっかり変わったと言われています。侵攻後は、現在のように台所の神とされた、というか、本来の意味を隠す必要があったということだと思います。それ以前は「太陽・月・星」の霊力を受ける三石を火の神として崇めたようですね。
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