ナスの御嶽(北中城村仲順)は集落発祥の地と 伝わる拝所だが、舜天王統三代王の墓所という。 かつて宿泊したことのある旧コスタビスタ沖縄 ホテルから南東へ降った坂道の道沿い左に位置。 仲順(ちゅんじゅん)から屋宜原方面へ登った日 は道に迷ってしまったので、今回はこのルートで。 数日前に訪れた舜天王の墓とも伝わる大里の 食栄森御嶽のアーチを思わせる。和風な印象。 ![]() アーチ門と鉄扉の先が三代王を祀る岩上墓か。 先には進めない。王妃墓も近くにあるらしい。 ![]() 御嶽近くの新しい説明の石板(写真右)を読む。 ナスの御嶽 中順(ちゅんじゅん) 〜仲順集落は、かつてナスの御嶽をクシャテ(腰当) として南側に発展していったといわれる。 御嶽の中にある琉球石灰岩が御嶽のイベ(神の在所) であると考えられ、「琉球国由来記」(1713年) には、神名は「ナスツカサ御イベ」で、安谷屋ノロ が祈願する場所であったと記されている。 舜天・舜馬順熈・義本の3人の王が祀られている との伝承もあるが、『北中城村史』(1970年) によれば、義本王は王妃御墓に葬られたという。 なおイベの傍らには「舜天王之霊」・「舜馬順熈 王之霊」と刻まれた石碑が建てられている。〜 北中城村 ![]() 説明板の下に立て掛けられたこの古い石碑は、 これまで岩上のどこかにあったものだろうか? 右行には「義本王先生様御○○」と、左行には 「御嶽○○○」と刻まれているようだ。しばし 見ていても分からず、立ち去ったのだったが…。 ![]() 自宅に戻ると↑その「碑文の解読」を読んだ記憶 がふと甦る。他でもない「当銘のソントンの御嶽」 を「忘れられた重要史跡」と記した宮古島出身・ 稲村賢敷氏著『沖縄の古代部落マキョの研究』だ。 思えば、 数年前の今頃、私が那覇市牧志のさいおんスクエア にある市立図書館で、その本を閲覧しているとき 語り部が刊行年を電話でズバリ霊視した、本だ。 (ブログはこちら)。あれは、安里川に鯉のぼりが 泳いでいた日。関係ない話だが、今年はどうだろう? ![]() つい脱線してしまったが、 「ソントンの御嶽」つながりで、稲村氏の本はいま、 机の上にある。その該当ページを開くと…あった。 あの石碑の刻字について、 〜(石碑の)一行は、義本先生様御墓であろう 二行は、御嶽門仲順字民建であろう〜と「註」に。 案内してくれた区長の話として、これは昭和時代 に墓の改修をした門柱の字民(=集落の人たち) が刻んだものだと、著者の稲村氏は綴っている。 つまり、義本王の子孫が中城湾を眼下に見渡す この地で、祖先王の墓を守ってきたというわけだ。 実はこの御嶽を地元では「義本王の墓」と呼ぶ。 ![]() 本を読み進めると、アッと驚いて目が止まる。 ここ仲順部落では、住民の6割は義本王の子孫だ といい、その氏名は、為朝や義本王の一字を取って 為安、為吉、為一、あるいは、義一、義昌などと 称していると、稲村氏は著しているのだった。 そうだったのか…。 稲村氏は続けて、苗字・名の始まりは明治期なので、 このことで為朝渡来説や義本王墓を認めるのは難しい と記しているが、妙に信憑性のある情報ではないか? 何か新鮮な気づきをいただいたという感じがした。
by utoutou
| 2022-04-29 01:21
| 琉球王
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