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琉球国初代王・舜天〈20〉熱田と阿多隼人

「義本王の墓」とも呼ばれ、舜天王統の三代王
 を祀る北中城村「ナスの御嶽」。同じ村内には、
安谷屋グスクだけでなく、熱田(あった)という
 地名もある。こちらも阿多忠景の渡来に関係が
 あるのではないか? と、実は以前から考えていた。

熱田、熱海、安達太良山など、「あた」「あだ」
の読みを含む地名は全国で見られるが、それを
阿多隼人ら古代海人族の移住先と見る研究がある。

 熱海の海底遺跡保存会さまによる地名一覧を
 見ると、北中城村熱田、安谷屋も記載されていた。


奈良県五條市原町も阿多隼人の移住先として有名
で、阿陀比売神社には、阿陀比売こと阿陀津比売
(木花開耶姫)と火照命ら子神三柱が祀られている。
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五條市文化博物館発行の『五條市の歴史と文化』
には、ここ吉野川下流の阿太地域は記紀神話の
舞台だと記す。後の神武天皇は大和へ向かう途中
この地でニへモツノコと出会うが、彼は阿太の
鵜飼の始祖で、九州から北上した阿多隼人だと。

中央の写真は、吉野川の「皇座位」と呼ばれる岩で、
(鵜飼で釣った)鮎を神武に献上した場所だという。
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後代、五條市や京都などへ、朝廷によって
南薩摩から強制的に移住させられ「畿内隼人」
として、奉仕することになった人々もいた。
(↓ 鹿児島県霧島市の隼人塚史跡館の展示より)

地図右下に阿陀の地名が見える。つまり、
神武の時代以前から隼人族が住んだこの地に、
朝廷に鎮圧され服従することになった隼人も
 移住した。そうして地名は生き続けたのだろう。
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さて、安谷屋(あだにや)と熱田。本島中部に、
なぜ阿多隼人を思わせる地名が残っているのか?

その繋がりを、神武からグッと時代は下って
平安末期、舜天の父となる源為朝を娘婿として
南薩摩の覇者ともなった豪族・阿多忠景に見る。

忠景は元々薩摩平氏の伊作氏で、婚姻によって
 阿多氏を名乗ったという。つまり妃は阿多君…。

1160年ごろ、忠景は、
薩摩・大隅・日向を支配するほどの郡司となる。

鎌倉幕府の公文書『東鑑』によれば、そのため
 平清盛に圧迫され喜界島(硫黄島)に逃亡するが、
 清盛に疎まれたその莫大な富と権力は、おそらく、
太宰府を通じた私的な日宋貿易で得たものだった。

 忠景の本拠地は、南薩摩の日置郡金峰町阿多。
万之瀬川河口域の持躰待(もったいまつ)遺跡
からは、宋から輸入された陶磁器類が大量出土。
ここ20年ほど、忠景との関連が指摘されている。

阿多は日宋貿易の中継地点だったわけだが、
輸出品となったのは、南島と琉球特産の硫黄や
赤木や夜光貝だったことは、想像に難くない。

いっぽう、沖縄の伝承では、阿多忠景は為朝と
共に琉球に渡来した、とか、為朝が去った後も、
 琉球に留まり舜天(尊敦)の教育を担ったとされる。

さて、熱田という地名は、他にも本島にある。
恩納村安富祖と南城市知念志喜屋に、熱田原と。

また南城市大里稲福にある拝所・稲福寺は別名
が熱田寺(あったでら)。語り部によれば、その
近くに、かつて、ソントン石という御嶽があった。

阿多・熱田・ソントン・舜天は、繋がっている…。

稲福に近い、ユインチホテル南城から斎場御嶽
のある知念半島(写真右)と、中城湾を望む。
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by utoutou | 2022-05-06 20:18 | 琉球王 | Trackback | Comments(5)
Commented by utoutou at 2022-05-12 20:10
> 2924_a31さん
違いますね。恐縮です。
Commented by utoutou at 2022-05-13 17:35
> 2924_a31さん
未踏の島です。行きたいですね🤗
Commented by utoutou at 2022-07-31 01:16
> タマキさん
お住まいの南城市にルーツを感じておられるのですね。私にもとても惹かれる場所です。同行についてのお尋ねですが、次の旅の予定が立っていないため何とも申し上げようがなく…。「同行二人」というか、気の向くままに歩く自分は、それを見ている自分と歩いているような気がします。試してみられてはいかがでしょうか。
Commented at 2022-08-01 08:53
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2022-08-01 17:03
> cocotama_r21さん
御嶽や神社で、「あら偶然!」という方とお話ししたことが何度かありました。どこかの御嶽で「あら?」と、お会いするのを楽しみにしています。
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