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琉球国初代王・舜天〈22〉鵜飼と稲作

ぎふ長良川鵜飼サイトで見た1枚の写真を見て
気がついたことがあった。竹籠である。
鵜飼には、様々な種類の竹製の籠が用いられる
とのこと。籠には鵜を船に運ぶ鵜籠、あるいは、
 遠くへ運ぶ輸送籠、鳥屋籠など。全て竹製だと。
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 こちらも同サイトから拝借した1枚。平成時代、
皇太子殿下がご視察された「御料鵜飼」の様子。
 竹細工の鵜籠。鵜匠は宮内庁式部職で職務を担う。
琉球国初代王・舜天〈22〉鵜飼と稲作_a0300530_13075916.png






さて、
阿多隼人の故郷である薩摩半島の阿多地方は、
竹細工発祥の地であ理、日本一の竹の産地だ。

大和朝廷に抵抗して720(養老4)年に蜂起した後、
隼人は朝廷に服属して護衛・芸能・竹細工などに
携わり奉仕したというが、鵜飼もまた職務だった。

『竹と鵜飼〜隼人物語〜』と題した講演(奈良県
立考古学研究所長・菅谷文則氏、2012年)に、
 そのことをズバリ指摘したくだりがある(要約)。

☆鵜飼を行なっていたのは隼人である。
☆鵜飼や竹細工の竹は、隼人の地である南九州
 経由で(大和に)入ってきたと、考えている。
☆勇猛果敢だった隼人たちは、一部が吉野や京都に
 連れてこられて皇室の警備にあたる一方、故郷の
  竹を移住地に移植して、竹細工の生産や鵜飼をした。


  ところで、長良川の鵜飼は、鵜を使って鮎を獲る
 古代漁法を観光化したものだが、中国大陸の鵜飼
  の起源地は、江南(揚子江=長江の南)だという。

『鵜飼 よみがえる民俗と伝承』の著者・可児
 弘明氏の論説には、目から鱗がボロボロ落ちた。

 ☆日本と中国の稲作地帯に鵜飼は広がっている。
 このことは、鵜飼が水稲栽培とともに中国地方
  から日本へ伝わったことを示すのではなかろうか。

☆岩手県雫石盆地と秋田県の角館は鵜飼の北限地。
  この北緯40度線の北では、稲作の普及は遅れた。
(※調べると雫石地方には鵜飼や安達の地名がある)

☆中国の稲作文化の担い手は、南方の非漢民族。

  その江南から渡来したのが古代海人族だ。後の
  和邇と隼人、安曇、物部、宇智セーナナーか。
  それなら、タタラ製鉄をした火の一族でもある。
 

 川合玉堂画伯の『鵜飼』(東京富士美術館所蔵)
琉球国初代王・舜天〈22〉鵜飼と稲作_a0300530_08135374.png

 






by utoutou | 2022-05-16 20:33 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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