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琉球国初代王・舜天〈23〉西ヨーロッパ系の人骨

南城市玉城富里(ふさと)の納骨堂内に一緒に
納められていた15〜16世紀の3体の人骨を調査した
研究チームが、ミトコンドリアDNA分析の結果を
 発表。そのニュースは、瞬く間に全国を席巻した。

なんとその男性3名、母親の系譜が、沖縄・日本、
西ヨーロッパ・中央アジア、朝鮮半島と分かったと。

もともと富里にあった風葬墓が、1992年に商業施設
の開発により取り壊され、全部で78体あったという
人骨は、JAおきなわ玉城支店近くに作った納骨堂
 に納められていたという。初めて知る話で驚いたが、
玉城に国際色の豊かな一族がいたことにも驚いた。


地図は5月21日の沖縄タイムスより
琉球国初代王・舜天〈23〉西ヨーロッパ系の人骨_a0300530_12055304.jpg







とりいそぎ、語り部に電話して感想を聞く。
「西ヨーロッパから玉城富里に来て住んだ人たち
 がいたことが分かったそうですね、人骨調査で」

 しかし、語り部はさほど驚いたふうもなく言った。
「そうですね、本当だと分かってよかったです」
「西ヨーロッパとか、中央アジアからですよ」
「言いましたよね、前に」
「何でしたっけ?」
 「(富里の隣村の)中山で、その人たちを視た話。
  集団で海から上がってきた西ヨーロッパの人たち」
「え? 中山のどこで、でしたっけ?」
「ガルガー原(ばる)で」

そう言えば、すっかり忘れていた。背の低い
西ヨーロッパの人たちが玉城にいるのを視た話。
舜天王統の中世よりもっと古い時代のことらしい。

西ヨーロッパと、語り部があえて言うのはなぜか?
 次は聞いてみるか、西欧人と東欧人の視た目の違い。


語り部の視た、
その西ヨーロッパ人の集団と、この度の人々が同じ
DNAとはもちろん限らないが、中山のガルガーバル
(井泉、かー)の位置を確認すると、納骨堂のある
 JAおきなわ玉城支店(↓加工赤角)あたりなのである。


より拝借。このような滝があるとは知らなかった
琉球国初代王・舜天〈23〉西ヨーロッパ系の人骨_a0300530_12060641.png







納骨堂のあった玉城富里と中山は隣接。富里の
 東方傾斜面に加留川泉(ガルガー滝)はある。
琉球国初代王・舜天〈23〉西ヨーロッパ系の人骨_a0300530_12062290.png







↓同じく拝借した写真だが、国道331号が見える。
昔から富里では水不足に悩まされていたものの、
王府時代、この川泉から集落の正泉川泉にポンプ
 で水を上げる工事で解消した ※『南城市の御嶽』
琉球国初代王・舜天〈23〉西ヨーロッパ系の人骨_a0300530_12063550.png




人骨分析結果のニュースは、つまり、琉球国の
三山時代(1322〜1429年とされる)末期に、
既に大陸からの渡来人がいたらしいことを示す
 ものと思うが、語り部は、また違った見方をする。

「むしろ1体の男性から、沖縄・日本を母系とする
 ミトコンドリアDNAが検出されたということなら、
 天孫氏王朝から続いていたはずの母系の血筋に、
 渡来人が入ったのだろうと考えられると思います」

 天孫氏王朝はあったというのが、語り部の持論だ。

by utoutou | 2022-05-23 17:17 | 琉球王 | Trackback | Comments(4)
Commented by utoutou at 2022-05-25 07:27
> 2924_a31さん
日々多くのコメントをありがとうございます。ブログの内容に関係するものだけ公開させていただきますね。渡来の人たちがいたとすれば、島→本島→本島の高地へ、という経路は容易に想像できますよね。イザイホーの映画を撮った監督からも同じ意見を聞いたことがあります。
Commented by utoutou at 2022-05-25 16:33
> 2924_a31さん
ありがとうございます🙂
Commented by utoutou at 2022-06-03 19:16
> おりえさん
初めまして。コメントをありがとうございます。いまはそのことだけをお伝えします。
Commented by utoutou at 2022-07-07 18:59
> おりえさん
返信がたいへん遅れましたこと、お詫びします。申し訳ありませんでした。玉前神社、近々参りたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
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