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琉球国初代王・舜天〈24〉続・ソントン

 舜天王となった尊敦は源為朝と大里按司の妹の子、
 と『中山世鑑』は記すが、本島南部の玉城(南城市)
や具志頭町にある「ソントンノマイケガオイべ」
に依る神・ソントンとは、いったい誰なのか?
 この春に随分と考えたが、久々に再考してみたい。


4月に訪れた源為朝公上陸の碑(国頭郡今帰仁村)
運天港の見える高台に建つ。港の喧騒が聞こえる。
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さて、
そもそもソントンとは「若太陽(わかてぃだ)」
のことで、後の琉球王朝時代の王権と結びついた
「太陽子(てぃだこ)」思想とは一線を画すると
考えている。「若てぃだ」つまり、昇る朝日のよう
に若々しいリーダーと、「太陽の子」とされた王。

どちらもニライカナイ思想と結びついているが、
ソントンは「北方から渡来した集団のリーダー」と
言われたりする。北方とは南薩摩を指すようだが、
 それはソントンの御嶽が北方を重視する構造による。


 こちらも4月初旬に那覇・安里から見た東の空。
 ゆいレールが走っている朝6時半の「若てぃだ」
琉球国初代王・舜天〈24〉続・ソントン_a0300530_14110150.jpg








ソントンの時代とは、
舜天王統が成立する1187年より少し前のこと。
源為朝とともに南薩摩から渡来した海人集団を、
肥後平氏を祖とする阿多氏が率いたと考えている。

海人族でありながら、彼らは南島の夜光貝や赤木
や硫黄などを交易品として、本土商人と取引した。
またタタラ製鉄で鉄器を生産し、稲作を持ち込み、
中国製陶磁器や石鍋を12世紀の琉球にもたらした。

彼らはやがて按司となり、グスク時代を招来する。
琉球は当時まだ、原始時代から抜け切れていなかった
と、多くの歴史家は見るが、語り部の意見は異なる。

「ソントンが歴史に登場する以前、すでに各地には
古代部落マキョ(血族集落)があったと思うのです。
それが〇〇天孫氏として語られるアマミキヨの子孫
で、ソントンは婚姻などでそこに入ったと思います」

〇〇天孫氏とは、アカデミックの世界では架空と
もされる天孫氏王朝の末裔。例えば、首里天孫氏、
玉城天孫氏などと、地名を冠して伝承されている。

天孫氏の古代集落は、いわば龍神の国であった。
鉄を産しない国に来た、鉄を生む「火の一族」が、
琉球人には「若てぃだ」と映ったのは当然のこと。
 
つい先日、語り部がこんなことも言った。
「〝アマミキヨの夫はソネ彦と呼ばれた〟という
伝承がミントングスクにありますね。ソントン
とは、そのソネ彦ことなのだと思っています」

なるほど…と、脳内に灯りがピンと点いた。

これまで、ソネ彦には「蘇根彦」と当て字をして
きたが、それを訂正する時がきたかもしれない。
ソントン=ソネ彦=曽根彦。曽の根の彦…。
曽とは大和朝廷から隼人と名指された人々の異称。
隼人と同族の熊襲は、熊曽於とも呼ばれたらしい。


 為朝上陸の碑のある高台から見下ろす運天港
琉球国初代王・舜天〈24〉続・ソントン_a0300530_15593295.jpg






by utoutou | 2022-06-02 01:14 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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