舜天王となった尊敦は源為朝と大里按司の妹の子、 と『中山世鑑』は記すが、本島南部の玉城(南城市) や具志頭町にある「ソントンノマイケガオイべ」 に依る神・ソントンとは、いったい誰なのか? この春に随分と考えたが、久々に再考してみたい。 4月に訪れた源為朝公上陸の碑(国頭郡今帰仁村) ![]() さて、 そもそもソントンとは「若太陽(わかてぃだ)」 のことで、後の琉球王朝時代の王権と結びついた 「太陽子(てぃだこ)」思想とは一線を画すると 考えている。「若てぃだ」つまり、昇る朝日のよう に若々しいリーダーと、「太陽の子」とされた王。 どちらもニライカナイ思想と結びついているが、 ソントンは「北方から渡来した集団のリーダー」と 言われたりする。北方とは南薩摩を指すようだが、 それはソントンの御嶽が北方を重視する構造による。 こちらも4月初旬に那覇・安里から見た東の空。 ゆいレールが走っている朝6時半の「若てぃだ」 ![]() ソントンの時代とは、 舜天王統が成立する1187年より少し前のこと。 源為朝とともに南薩摩から渡来した海人集団を、 肥後平氏を祖とする阿多氏が率いたと考えている。 海人族でありながら、彼らは南島の夜光貝や赤木 や硫黄などを交易品として、本土商人と取引した。 またタタラ製鉄で鉄器を生産し、稲作を持ち込み、 中国製陶磁器や石鍋を12世紀の琉球にもたらした。 彼らはやがて按司となり、グスク時代を招来する。 琉球は当時まだ、原始時代から抜け切れていなかった と、多くの歴史家は見るが、語り部の意見は異なる。 「ソントンが歴史に登場する以前、すでに各地には 古代部落マキョ(血族集落)があったと思うのです。 それが〇〇天孫氏として語られるアマミキヨの子孫 で、ソントンは婚姻などでそこに入ったと思います」 〇〇天孫氏とは、アカデミックの世界では架空と もされる天孫氏王朝の末裔。例えば、首里天孫氏、 玉城天孫氏などと、地名を冠して伝承されている。 天孫氏の古代集落は、いわば龍神の国であった。 鉄を産しない国に来た、鉄を生む「火の一族」が、 琉球人には「若てぃだ」と映ったのは当然のこと。 つい先日、語り部がこんなことも言った。 「〝アマミキヨの夫はソネ彦と呼ばれた〟という 伝承がミントングスクにありますね。ソントン とは、そのソネ彦ことなのだと思っています」 なるほど…と、脳内に灯りがピンと点いた。 これまで、ソネ彦には「蘇根彦」と当て字をして きたが、それを訂正する時がきたかもしれない。 ソントン=ソネ彦=曽根彦。曽の根の彦…。 曽とは大和朝廷から隼人と名指された人々の異称。 隼人と同族の熊襲は、熊曽於とも呼ばれたらしい。 為朝上陸の碑のある高台から見下ろす運天港 ![]()
by utoutou
| 2022-06-02 01:14
| 琉球王
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