現在も、ミントングスク(南城市玉城)の神壇 に祀られるアマミキヨの神面は、ハチブラーとも 呼ばれる。それは鬼の面ともアマミキヨの顔とも、 またミントン家の先祖の顔とも伝わってきたという。 2009年に復元され祀られたアマミキヨの神面 ![]() 今次の戦争で焼失したアマミキヨの神面 島袋源一郎著『伝説補遺沖縄歴史』(1952年) ![]() ![]() ちなみに、 そもそもアマミキヨがいつどこから来たのかに ついては諸説あるのみ、未だ確たる情報はないが、 神面については、ある人は土(粘土)で出来ていた と言い、またある人はアマミキヨが自ら型を取り ながら作ったので土製だったが、長い年月を経て からは、木(デイゴ)を使って作り変えたと言った。 琉球王朝時代や明治・大正時代になってからも、 何かの祝宴があれば、村人がアマミキヨの神面を 被り、村芝居をしたという話は、近年まであった。 神面は、いわば神楽の聖なる小道具でもあった。 アマミキヨの神面の話をあれこれと聞いたのは、 2009年5月のある夜、ミントングスクで行われた 神面のお披露目会に居合わせていたからだった。 ![]() 戦争で焼失してしまった神面を、有志の方たちが 復元し、奉納式と舞踏発表を行ったときのことだ。 仮面復元を発案した仮面研究家Sさんは、その文化 の源流は南方アジアにあると言っていたと記憶する。 神面を崇める風習を、琉球は南薩摩との間で古く から共有してきたのだろうと気がついたのは、昨年 の秋、霧島神宮に初めて参ったときのことだった。 薩摩には、 仮面を神として祀る仮面信仰が根づいている。 霧島神宮には、「メンドン(面殿)マワリ」という 祭りがあったと知った。猿田彦命の仮面を厨子に 納めて斎主が背負い境内を祓い清めて廻ったという。 メンドンは、面殿。ミントンも、面殿。 神面を背負ったり顔に被ったりと様式は違うが、 先祖の御魂を仮面に移して崇める風習は同じだ。 霧島神宮には、古くから九面信仰なるものが あり、縁起がよいと九面鈴のお守りもあった ![]() こちらは、絵馬に描かれた猿田彦命の仮面。 先住族の王の仮面は、特に神王面と呼ばれる ![]() ところで、薩摩硫黄島にも、 無形民俗文化財のメンドンという仮面祭がある。 硫黄島は、またの名を鬼界ヶ島ともいい、あの 源為朝と共に琉球に渡来したとも言われる阿多 忠景が逃亡した島とも、久しく伝えられている。 源為朝が琉球を去った後、舜天のためその仮面を 祀ったのは、阿多忠景ではなかったかと思うのだ。
by utoutou
| 2022-06-10 06:49
| 琉球王
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