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琉球国初代王・舜天〈32〉太陽のシンボル

王府時代の成人男性は、みなカタカシラを結った。
氏族も平民も15歳の春になると頭の上で結髪するのが
習わしだったというが、当初は片側に結うものだった。
15〜6世紀に漂着した人々の見聞記『李朝実録』では、
「琉球の男性は左耳上で髪を結う」と、表現している。

『沖繩一千年史』(真境名安興・著)によれば、
それは、舜天王の髪型に倣ったスタイルたという。

  舜天には、右の頭に角のようなコブがあったので、
 いつも髷を右に結んで隠していた。王位に就くと、
それは男性の風習になったと。16世紀に渡来した
冊封使の使録には、琉球の男性のうち、漢人の末裔だけ
が、髪を頭上の正中(真ん中)で結うと記されている。

ソントンの結った髪型が流行して広まり、王府時代に
なって定着したのか。しかし、語り部の意見は違う。
ソントンの頭にコブはなく、玉を乗せていたのだと。
布を被せて縛ったので、コブがあると見られたのだと。

確かに、一理ある…
と思うのは、琥珀は非常に軽い植物性の宝石。かつて
久慈(岩手県)の採掘現場を見たとき、それは太古の
 南洋杉の樹脂が固まったもので、食塩水に浮くと聞いた。


昇る朝日(若てぃだ)のようなリーダーだと賞賛された
ソントンは琥珀玉…太陽のシンボルを身につけていた?
(写真は、いつかの久高島の夏至に朝に昇る太陽)
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戦前まで、祭りに参加する男性神人が、ソントンの
髪型を真似たカタカシラを結う風習があったという地域
がある。他でもないソントンに由縁の八重瀬町当銘だ。

『琉球国由来記』が記す「神名ソントン御イベ」のある
当銘では年に数回の祭祀があったが、旧暦5月と6月の
祭りの男性司祭者は、頭に蔓草を巻き白い鉢巻をした。

5月ウマチー(祭り)と言えば、初穂の頃の初稲祭り。
6月ウマチーと言えば、稲の収穫に感謝する稲大祭。
ソントン集団は、水稲栽培を琉球に持ち込むと同時に、
鉄の農具を作るカニマン(鍛治)だったかもしれない。
 
   
 ソントンが古代部落に君臨することができた理由は、
源為朝の子とか、大里按司とか、阿多忠景との関係と
いろいろ書いてきたが、もうひとつ決定的な要素は
ないものかと、旅行中の一日、車を当銘に向けた。
琉球国初代王・舜天〈32〉太陽のシンボル_a0300530_13570578.jpg






その足でもうひとつのソントンの御嶽のある玉城へも。
南城市玉城仲村渠にあるそれは個人の敷地にあるため、
外から覗き込むだけにして、近くから太平洋を眺めた。
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翌朝、思うことがありソントンの御嶽の位置を調べた。
ほぼ東西に並ぶ、ふたつのソントンの御嶽。
やはり緯度は同じで、どちらも北緯26.14度。
これは、誰かが繋げたレイラインなのだろうか?

とすれば、ソントンは古代ヤマトにレイライン(太陽の道)
を引いたとされる、日置氏の裔なのかもしれない。
(地図で西の赤ピンが当銘、東の紫ピンが玉城仲村渠)
琉球国初代王・舜天〈32〉太陽のシンボル_a0300530_14515796.png




古代の日置部は穀霊である日神を祀る「部民」として、
朝日を迎え夕日を送る…東と西を崇める儀礼を司った。











by utoutou | 2022-07-26 16:19 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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