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琉球国初代王・舜天〈33〉久高島「太陽の道」

語り部は、玉城城で「日置」という声を聞いたこと
 があるという。それを知った日から何年か経ったが、
そもそも、玉城城に夏至の朝日が差し込むという伝承
 を聞いた丸9年前、このブログは始まったのだった。

日置氏とは、古代の律令制のもと、日を読み天体を
観測して土地を測量したり、火継ぎなど神事を司った
 朝廷の部民だった。いまでも各地にその地名が残る。

古代より南薩摩の日置郷には阿多郡があり、源為朝
を娘婿にした阿多氏は、日置氏とも縁が深いようだ。
 時代をさらに遡れば、隼人にも繋がると考えている。

これまで、日置氏、日下部氏、竹内宿禰と同族の宇智氏
の足跡を追って、各地の寺社に足を運び、最近では
 ブログ「宇智神社」「隼人の渦巻き」に綴っていた。

それもこれも、宇智氏や隼人が、久高島にある拝所
ウッチ小(ぐぁ)と関連が深いのではと感じたからだ。


そして、いま、
玉城と八重瀬、沖縄本島南部2ヶ所のソントンの御嶽
を繋ぐ東西軸を太陽の道(レイライン)と考えると、
その起点を久高島に求めるのは自然の成り行きだった。
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  話は1年前に遡る。語り部がこんなことを言った。
「久高島の徳仁港の近くに、ウッチに関係する御嶽が
  ありませんか? ちょっと探してみてはどうですか?」と。

徳仁港は↓島の最南端に位置する。久高海運の客船
 が、本島側の安座真港とを結び毎日発着している。


 御嶽を探し、また、島人の話を聞きつつ歩いた結果、
 港の裏にウッチの御嶽(仮称)らしき所を見つけた。
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さて、島尻地方に2ヶ所ある、ソントンの御嶽。
 2点を繋ぐ東西軸(春分秋分の日の出・日入り方向)
 を東に伸ばすと、久高島の徳仁港とウッチの御嶽
 (仮称、北緯26.15度)に行き当たる。ほぼ横一列だ。
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ウッチの御嶽(仮称)へは港側からは渡れないようだ。
が、このテトラポットの山がなかった時代、丘の陰に
ある窪んだ地形は、よい船泊だったのかもしれない。
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港の反対から降りると、御嶽のイビ(威部)がある。
覗くと、奥には石香炉が安置してあるのが見えた。
ウミンチュ(海人)の祭りで拝まれているという。
琉球国初代王・舜天〈33〉久高島「太陽の道」_a0300530_11565603.jpg


by utoutou | 2022-07-28 16:54 | 琉球王 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2022-09-26 06:52
> Lupinさん
ありがとうございます。「日置氏の足跡」シリーズを拝見。尾張氏の日置日女という方が気になりました。日奉部→日置部という部名に関する考察も、なるほどなあと感じて。またゆっくり拝読いたします。
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