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琉球国初代王・舜天〈34〉真南(まふぇー)の御嶽

久高島の南端に位置する徳仁港は、↓テトラポット
が並ぶ桟橋の右側(西)にあたるが、手前の砂浜へは、
高さ10mほどある岩山を降りて行くと、視界が開けて
くる。古来の徳仁港はこの浜のような様子だったかも。
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集落側から降りて行く岩場には、行き止まりかと思う
難所もあったりしたが、振り返ると、おそらくここは
 浜へと降りる最短のルートだったようだ。
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  徳仁の御嶽は「真南(まふぇー)」と呼ばれる。
真南を探しに行く前、外間殿の近くにある拝所の前で、
島の人が言った。「ここは真南を拝むところだよ」と。
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真南(まふぇー)は、古い神歌にも歌われている。
12年に一度の祭り「イザイホー」のティルル(神歌)。
神女たちが三晩籠るハンアシャギに入ると歌った。
その長いテイルルの最後に「真南」のくだりがある。

〜一年中、みんな幸せにさせてください ニラー拝み
ハナヤ拝み 天を拝み お寺を拝み 神女たちよ
真南を拝み、スビラヤキを拝み 奉りましょう
明日はなお一層拝みます 奉ります〜

ニライカナイを東、天を北と捉えると、お寺(風葬崖
  のこと)の西と、真南(スベーラの御嶽もその一部)
で、四方拝となる。真南は重要な御嶽だと解釈できる。

ちなみに、その祭りで、
 神女になる人たちはアカララキ(女神)に守護されて
森羅万象に祈りを捧げ、大霊力(=ウプティシジ)を
  授かることで再生したという。※アカララキは龍神。
  イザイホーでは、神女が籠る七ツ屋を傍らで見守った。
(以前のブログは、や、に)

ニライカナイ信仰・太陽信仰は、東方を礼拝する信仰。
そこから若てぃだ(昇る太陽)信仰は生まれ、各地に
出現した按司は、ソントン(太陽の神霊)と呼ばれた。

そのうちの強者が舜天(尊敦)王になったと考えるが、
イザイホーの祀りにも窺えるように、琉球の古神道では
太陽神のみならず、月神も星神も、森羅万象を崇めた。

ソントン集団が二至二分に太陽が昇る方向、太陽の道
(レイライン )を崇めたのは、稲作の民だったからか。
 そして、鍛治と交易の得意な集団だったのだろう。
ソントンの出た12世紀、琉球の無土器時代が終わった。

では、ソントンを生んだ集団はどこから来たのか?
 その謎に戻されそうになるが、忘れてはいけない。
 ソントンは、筑紫玉と呼ばれる赤い玉を持っていた。
またの名は御統(すべてをすべる)「ミスマルの珠」。
発祥は海に沈んだ龍宮、つまり琉球だと語り部は言う。

 ふと思う。この島で、
夏に行われるテーラーガーミー(太陽神の祭り)は、
ソントンの神霊を継ぐ祭りだったのではないか。
琉球国初代王・舜天〈34〉真南(まふぇー)の御嶽_a0300530_07512449.jpg




by utoutou | 2022-08-05 17:43 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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