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琉球国初代王・舜天〈36〉日向と百済

滅亡した百済の王族が、西暦756年ごろに漂着。
やがて、そのひとり・福智王が神として祀られた
というのは、比木神社(宮崎県児湯郡木城町)。
日向灘に注ぐ小丸川の右岸に鎮座している。地図
 写真は、公式サイト(木城町観光案内)から拝借。
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由緒によれば、創祀されたのは1800年前という。
祭神は大己貴命、三穂津姫命、事代主命、素戔嗚尊、
櫛稲田命、そして福智王。最後に合祀されることに
なった福智王が主祭神のように語られるのは、近年、
隣町に「百済の館」ができたからだろうか。美郷町の
 神門神社には、福智王の父・禎嘉王が祀られている。

琉球のソントン信仰と日向の関係を探りたい私には、
「百済」は、悩ましいキーワード(神託)ではあるが、
蚊口浦(かこのうら)という湊に秘史があるようだ。

小丸川の河口に当たる高台に鵜戸神社が鎮座している。
神武東征の休憩地、とか、景行天皇が祈願したという
地元の伝承があり、日南にある鵜戸神宮より歴史は古い。

※鵜戸神社の写真は、宮崎観光写真サイトから拝借
琉球国初代王・舜天〈36〉日向と百済_a0300530_15472516.jpg






 語り部に意見を聞く。 
「福智王の一族は、蚊口の浦に漂着したといいますが、
  漂着でないとすれば、どんな理由からでしょうね? 」
 
 間を置かず、答えが返ってきた。
「福智王が渡来する以前に、婚姻関係があったという
  伝えはありませんか? あったように思えます」
  
 その確証はまだ得られない。ただし、奈良時代、
 日向の国府は西都原古墳群のある現・西都市にあった。
 西都原と比木神社(木城町)は、その距離わずか11㎞。
  百済王族は日向の「都」に渡来か逃亡をしたのだった。
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西都原古墳群からは、大陸や朝鮮半島との交易を示す
あの船形埴輪が出土している。300基以上ある古墳の
 なかで最大という男狭穂塚古墳の倍塚から出た遺物だ。

その年代は、5〜6世紀。外洋航海が可能な準構造船
をモデルにした埴輪と言われる。つまり、その時代
 すでに、古墳の被葬者は海洋交易を展開していたのだ。

「交易していた物は、鉄製品か馬か、それとも…?」
 聞くと、「宝貝だと思います」と語り部。
以前のブログ琉球産の宝貝にも書いたが、弥生時代
から大陸と交易していた貝商人は日下部氏である。

by utoutou | 2022-08-19 10:54 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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