人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球国初代王・舜天〈41〉久高島の角力大会

沖縄角力(相撲)が、本土とは違うスタイルの格闘技
 であることは知っていた。発祥の時代には諸説あるが、
主に伝わるのは、「王朝時代」と「明治時代」である
 ことや、久米島と那覇市牧志での大会が有名なことも。

 それがシルム(韓国相撲)と同様に、「立会い」が
  なく、組み合う状態から勝敗を競うスタイルだとも。

  しかし、初めて角力を見ると、別の意味で胸が騒ぐ。

 久高島への道中、済州島(古代は耽羅国といった)と
 日向(日下部氏)と久高島に伝わる「土中出生伝承」
  の一致について、アレコレ考えていたものだったが、
 夕陽の浜で、その答のヒントが降りてくる気がした。
琉球国初代王・舜天〈41〉久高島の角力大会_a0300530_12163435.jpg








〜「穴に住む神」の末裔は、相撲を取る 〜
大会も後半の18時頃、そんな考えが降って湧いた。
琉球国初代王・舜天〈41〉久高島の角力大会_a0300530_12104317.jpg






これまで、
 久高島の始祖というアナゴノシー ・アナゴノファー は、
 アグルラキから地下に広がる「穴」に住む神と考えてきた。
また、その始祖を崇める民が穴師坐兵主神社(奈良県
 桜井市)の「穴師(産鉄民)」になったと、推理した。

穴師は、日本の相撲の発祥地。兵主とは武器の神…。
〜 兵主の河童は相撲を取りたがる〜という諺があった。

 発祥の地で天覧試合をしたのは、野見宿禰と当麻蹴速。
(垂仁天皇の時代。過去ログは「敗者は葛城」)
 また、阿多隼人と大隅隼人も天覧試合で相撲を取った。
(天武天皇の時代。『日本書紀』に記述がある)

勝者は誰、敗者は誰と、歴史は語るが、思えば
 天覧試合で相撲を取った両者は、「同じ穴のムジナ」。
 共に地下の穴(鉱道)に潜って活躍した「火の一族」。
 タタラ製鉄を生業に海を渡り、山を歩く「産鉄族」だ。

済州島にも始祖の「土中出生伝承」がある。韓国
 唯一の火山があることも「穴」の民俗が残る理由か。


さて、西の浜で夕陽と角力を見たその12時間後、
東の水平線に若てぃだ(朝の太陽)が昇ってきた。
琉球国初代王・舜天〈41〉久高島の角力大会_a0300530_13270538.jpg





入り(西)と、上がり(東)を繋いでいる地下世界
 のニライカナイで、太陽は死を超えて再生を果たす。
その「穴」は、龍神の住む「龍宮」とも考えられたか。
 龍宮に住む民は、琉球古伝で「天孫氏」と呼ばれた。
 その末裔に推されて「若てぃだ・舜天王」が誕生した。


ちなみに、沖縄角力はこうして向き合って始まる。
大会の後半、中学生女子の対戦をズームで撮った。
一戦一戦の真剣勝負に、途切れなく歓声が沸いた。
琉球国初代王・舜天〈41〉久高島の角力大会_a0300530_13073750.jpg






by utoutou | 2022-09-13 14:08 | 琉球王 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2022-09-15 15:12
> 匿さん
島でリーフの縁をずっと見ていると、おっしゃる通り水平線もその少し先に見えますよね。するとその延長には環太平洋の東といった現実的な広がりというより、宇宙的な空間というか空中や地中空間をイメージするわけで。ニライカナイは地の底・海の底と感じた古代の人の感覚は分かるような気がしたものです。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 琉球国初代王・舜天〈42〉ミカ... 琉球国初代王・舜天〈40〉久高... >>