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琉球国初代王・舜天〈42〉ミカンと済州島

テーラーガーミ(太陽神の祭り)の翌朝、東海岸の伊敷浜
に6時前に着いた。日の出は、北東方向からと思われた。
台風11号が通り過ぎた後、すぐに12号が発生していた。
雲は水平線上に横たわっているが、とにかく朝日を待つ。
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6時15分、昇ってきた。若てぃだ(若太陽)はまるで
 琥珀のような赤い色だと書いたことがあるが、この朝は
 どんな天然の仕掛けか、蜜柑(ミカン)色に光っていた。
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そのとき唐突に気づいたことは、照り輝く太陽とミカン。
「地底からの始祖が生まれた」という共通の伝承を持つ、
 日向・済州島・琉球はミカンで繋がっていると直感する。
 
 ミカン=古代の橘=非時果実(ときじくのかぐのこのみ)。
田道間守は垂仁天皇の延命にと西方にある常世の国に渡り、
10年後に橘を持ち帰ったが、天皇は既に崩御。それを嘆き
自殺した田道間守は、新羅から来た天日矛の玄孫だった。
常世の国とは、済州島こと耽羅(たんら)国だったのでは?
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ところで、
そもそも応神天皇の頃、武内宿禰の子・葛城襲津彦が
 百済や新羅など朝鮮半島に遣わされた理由は何だったか。
 
少なくとも、半島の交易や防衛の拠点は耽羅国だった。
 葛城氏の原郷が耽羅国だった可能性はなきにしもあらず。

「橘」と葛城には古来より密接な関係があるように感じる。
奈良時代の橘諸兄(たちばなのもろえ)という公卿が、
皇族から臣籍に降下する以前の名は葛城王(葛木王)。

時代は下って、鎌倉末期から活躍した武将・楠木正成
 も橘氏の後裔と称した。その本拠は、金剛山麓の葛城。
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話は飛んで、琉球王朝時代に済州島から来た漂流民が
 与那国島に保護され、無事送還されたという話がある。
『李朝実録・八重山見聞録』など正史に記されている。

1477年、第二王朝、尚真王の時代に起きた事績だった。
若くして王位に就いた尚真と母のおぎやかは、半年後、
 那覇に逗留したその済州島の農民たちを歓待したという。

 済州島を出た漂流船が搭載していたのはミカンだった。
船出は2月という。冬にも収穫できるミカンとは、橘?
 それはともかく、済州島と琉球とは黒潮で繋がっている。



by utoutou | 2022-09-17 21:23 | 琉球王 | Trackback | Comments(3)
Commented at 2022-09-18 15:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2022-09-19 14:56
> 匿名/うちなーんちゅさん
ご指摘ありがとうございます。そう言えば、以前、あの橘は沖縄で見るカラタチバナではないかと書いたこともありました。https://mintun.exblog.jp/237930037/
Commented by utoutou at 2022-09-19 16:21
> 雪幸さん
そうですね、私もそう考えたことがありましたね。先ほどゲノム研究をしたOISTのサイトに飛んだら分かりやすく紹介されていて、論文も読みたくなりました。
https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/36473
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