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琉球国初代王・舜天〈43〉黒潮の民

東シナ海の北と南で800㎞離れている済州島と琉球本島
だが、浦添城跡と首里城から発掘された高麗瓦から
も、ふたつの島の密接な交流関係が窺えるようだ。

高麗瓦の刻印から造られたのは1273年とされるが、
それはモンゴルの侵略に抵抗して高麗軍(三別抄
が済州島に立て籠もったものの、鎮圧された年。
琉球に落ち延びた人がいたとの説もある。
当時の耽羅は高麗の支配下にあった。
 

さて、前回のブログで、
「田道間守が持ち帰った非時香菓」
について、その橘の生る常世の国とは耽羅国
 ではないかと書いた。久高島の日の出を眺めながら、
 橘に託したかもしれない古代人の思いを想像していた。
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その夕方、注文していた古書が届いた。
『街道をゆく 耽羅紀行』(司馬遼太郎・著)。
冒頭に「常世の国」と題された一文がある。
     まさに田道間守と耽羅と橘の関係についての思索だ。     

何も私が久高島の朝日を引き合いに出すまでもなく、
司馬氏含め、昔からそう考える人がいたのだった。
i苦笑しつつ読んだその部分を、以下にコピペ。

〜田道間守と〝橘〟という伝説は奈良時代にはよく
知られていた話らしく、「橘は常世の木」という
ことで、貴族の屋敷にはかならず植えられる木と
されていた。( 中略 )さて、田道間守は「万里の
波をふん」で絶域にいたったという。そこは神仙の
秘境であるという。-----朝鮮の済州島だったのでは
ないか。という説がむかしあって、べつに実証性は
ないものの、私などは、トキジクノカグノコノミと
いえばあの楕円形の済州島のかたちが浮かぶという
  ふうに、自分勝手の童話の中にこの島を引き入れ 〜

司馬氏は「古代に古い形の柑橘類が自生していたと
してもおかしくはない」と、項を締め括っている。
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↑『耽羅紀行』('90年、朝日新聞社)表紙と挿絵MAP
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実は、久高島の浜ではもうひとつのことを考えた。
赤や橘という太陽の色への古代人の心情について…。
それは「てぃだが穴」を崇める思想とよく似ている。

地の底・海の底は、常世の国。龍宮には龍神が住む。
龍蛇神の目は赤く輝くからこそ、神に見立てられた。
その海から昇る「若てぃだ」は、不死で不滅の神だ。

朝鮮半島と習俗の異なる済州島にも蛇神信仰がある。
やがて琉球国初代王・舜天を生む母体となったのは、
東シナ海を自在に往来した黒潮の民ではなかったか。


 旅の最終日の朝、
安座真港(南城市)近くで、北に面白い雲を発見。
那覇市や本島中部からも見えたようだ。
かなとこ雲」の前に浮かぶ雲は、『耽羅紀行』の
 表紙↑に載る済州島の守り神・トルハルバンに見えた。
琉球国初代王・舜天〈43〉黒潮の民_a0300530_12042044.jpg





by utoutou | 2022-09-20 12:31 | 琉球王 | Trackback | Comments(3)
Commented by utoutou at 2022-09-22 07:21
> 宮城さん
お知らせ、ありがとうございます。シェアさせていただきます。
Commented by utoutou at 2022-09-26 06:46
> 匿名/うちなーんちゅさん
返信遅れ失礼しました。トルハルバンは玄武岩か花崗岩でできているそうですが、シーサーのようだなと、私も思いました。済州島にはトルハルバン公園があるとか。行ってみたいですね。
Commented by utoutou at 2022-09-28 07:29
> 匿名/うちなーんちゅさん
もともとが二体一対だったのか、後から一対型ができたのかは分かりませんが、済州島の発祥地・三姓穴に立っているトルハルバンや、東京の荒川区に贈呈されたものも一対のようですね。
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