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琉球国初代王・舜天〈45〉龍宮ゲート

東シナ海に黒潮文化圏があるならば、太平洋
 にも黒潮文化圏があり、日本神話の源流がある。

 よく知る、記紀の海幸彦・山幸彦の「日向神話」。
高天原から降りてきた邇邇芸命と、山の神の娘
・木花咲耶姫との間に生まれた3人の御子のうちの
  長男(海幸彦)と末子(山幸彦)の釣針をめぐるお話。

こうした筋書きの神話は「釣り針型」と呼ばれるとか。
弟・山幸彦は「海神の宮」で釣り針や珠を得るため、
「異郷訪問型」とも呼ばれ、インドネシアやミクロネシア
といった、赤道直下の南太平洋諸島に伝わるという。

 日本神話の原型は黒潮の源流にあたる島々で発祥し、
 海人とともに黒潮に乗って琉球諸島に流れ着いたか。

  私が興味深く思うのは「釣り針」より「海神の宮」だ。
 海神の宮、つまり龍宮とはリアルに古代の住居だった?
  とか、そこに豊玉姫がいたのかもしれない…と思う。

 昨年、インドネシア・スラウェシ島(植民地時代は
 セレベス島)の洞窟で4万年以上前の壁画が発見された
  というニュースを見たときも、同様に感じたものだ。

 スラウェシ島は、鳥越憲三郎氏が『倭族トラジャ』
  著すため、習俗や建築について調査を重ねた島だった。
 この島の高床式住居は、西都原古墳から出た家形埴輪
 や、奈良の東大寺山古墳から出た刀の環頭や、佐味田
宝塚古墳の家屋文鏡にそっくりだ。※参照国立博物館


さて、前置きが長くなったが、
洞窟のできやすい地質と言えば石灰岩だが、
先日の久高島で、ふと思いついて干潟を歩いてみた。
こちらも地質は、言わずもがなの琉球石灰岩だ。

伝説の「ニライハングムイ」を探したいと思った。
 ニライ(地底の)・ハン(神)・グムイ(池)とは、
 島の南の徳仁港近くの干潮時にできる潮溜まりのこと。

そこは、いわば龍宮へのゲートだと伝わってきたらしい。
語り部は、そこから人が出てきたのを視たと言う。
記録はないが、非常に古い時代からの伝承を思わせる。


その日はちょうど正午ぐらいが干潮で、もしかすると
 グムイが見つかるかもしれないと、干潟を歩いてみた。
琉球国初代王・舜天〈45〉龍宮ゲート_a0300530_06014990.jpg







往き来したのは地図に書いた赤線あたり。浅瀬を
10分ほどゆっくり歩く。膝下ぐらいの水位だった。
↑上の写真は、赤線の左端付近から撮ったもの。
琉球国初代王・舜天〈45〉龍宮ゲート_a0300530_18254218.jpg








港の防波堤(テトラボッド)の右は↓ウッチの御嶽。
真南(マフェー)の御嶽ともいう。過去ログこちら
熊襲族に関係するかもしれない御嶽と、干潮時に
その南西に現れるというニライハングムイの御嶽。
どちらもアマミキヨが伝えたものらしい。つづく…
琉球国初代王・舜天〈45〉龍宮ゲート_a0300530_05574310.jpg





by utoutou | 2022-10-01 16:41 | 琉球王 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2022-10-04 06:56
> マキタさん
コメントありがとうございます。10年もお一人でメッセージの紐解きをされていたのですね。教えてくださって感謝です。というのは、コメントを拝見して思い出すことがありました。10年ほど前、『エノクの鍵』の著者のJJハータック氏が来日したときに、あるご縁から講演を聞きに行ったのですが、そのなかで、久高島の南に海底遺跡がある可能性を話しておられたのです。本にも記述があったと思うので、確認してみます。前回、ニライハングムイを龍宮ゲートと書いたのは、アースゲートという言葉が浮かんだからですが、『エノクの鍵』は忘れておりました。
それと、ホルエムアケトは「てぃだが穴」「ソントン」「永遠の再生」と解釈できますね。なるほど…です。それから以前、関西の二上山の朝日のことをブログに書いたとき、語り部さんが「後醍醐天皇の赤い珠」と言ったのですが、その意味もスフィンクスで解けるかもしれないと思いました。
どういう存在からのメッセージか、あるいは何か集合的無意識のようなものにアクセスしているのか、詳しくは分からなくても、身に起こる様々な経験をスピリチュアルと一言で片付けない姿勢に頭が下がります。またいろいろと教えてくださいね。
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