人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球国初代王・舜天〈46〉アマミキヨつながり

久高島の南にあるという伝説のニライハングムイ。
ニライカナイ(龍宮)への入り口。大潮の日の
干潮時にできるグムイ(潮溜まり)はそう呼ばれた。

 あの日、干潮には30分ほど早い時間帯だったためか
確認できなかったが、ニライカナイは海の底にある
 と、地下他界や龍宮を崇める信仰を思わせる伝えだ。

ピザ浜からみて徳仁港の防波堤(消波ブロック)の
 端あたりにあるという。珊瑚礁の穴なのだろうか…。
琉球国初代王・舜天〈46〉アマミキヨつながり_a0300530_08202327.jpg







 ニライハングムイの神行事について伝承はないが、
集落内の主祭場・外間殿の東隣に位置する神屋
 ・イチャリ小(グァ、屋号)にはその遥拝所があり、
  満潮のときでも、ニライハングムイを崇められる。
琉球国初代王・舜天〈46〉アマミキヨつながり_a0300530_14303998.jpg







神屋の横の石に囲われたこちらが↓ニライハングムイ
のお通し(遥拝所)。ストーンサークルに似ている。
ニライカナイは地下にあるという龍宮信仰の表れか。
琉球国初代王・舜天〈46〉アマミキヨつながり_a0300530_11092484.jpg







イチャリ小の祭祀を管轄するのは、アマミヤノロ。
第一尚氏王朝以前から継がれる神職で、代々、
イザイホーでイチャリ小の娘が就任してきたという。

一門の開祖はアマミヤ、つまりアマミキヨだった。
そのためイチャリ小の拝所には島建ての棒がある。

さて、屋号の「イチャリ」とは船の「碇」の意味。
文字通り、海人の一門で、姓は糸数。奄美諸島での
イラブー(海ヘビ)漁に専従していたといい、原郷に
 は諸説あるなか、奄美大島の宇検村という話がある。

 その宇検村の湯湾岳には、アマミコ降臨伝説が残る。

思えば、久高島の古名も宇堅島である。
『海東諸国紀(琉球国図)』(1471年、李氏朝鮮の
  申叔舟の著)は久高島を有見島(宇堅島)と記した。
  少なくともこの頃、久高島は宇堅島と呼ばれていた。

  奄美大島へは行ったことがないが、宇検村を調べて
   いて、マイクロアトール(小さな環礁)を知った。
(↓写真は、日刊しーまサイト様から拝借)

  久高島のニライハングムイ伝説は、イチャリ小の先祖が、
 故郷の奄美大島に似た環礁の神秘を崇めたものか…。
ニライハングムイは、アマミキヨのグムイでもある!?
琉球国初代王・舜天〈46〉アマミキヨつながり_a0300530_13173401.jpg



by utoutou | 2022-10-06 17:40 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 琉球国初代王・舜天〈47〉阿多... 琉球国初代王・舜天〈45〉龍宮ゲート >>