奄美大島・宇検村の倉木崎海底遺跡で発見された 大量の中国製陶器は、12世紀末から13世紀前期に 作られたものだったという。越州窯・龍泉窯 ・景徳鎮窯(現在の浙江省)青磁、福建系白磁など。 舜天の在位時期(1186〜1237年)と微妙に重なる ところに、倉木崎海底遺跡の面白さがあると感じる。 その海底遺跡で発見された遺物は、当時、中国南部〜 琉球〜奄美〜博多間に貿易航路があったことを示す。 それを裏付けるように、航路沿いにある南薩摩日置郡 金峰町の持躰松遺跡や、博多遺跡群と遺物が一致する。 ということで、 タイミングが合い博多遺跡群(福岡市祇園)を訪れた。 博多最古にして総鎮守こと櫛田神社から徒歩で1分。 廃校・解体となった冷泉小学校が博多遺跡群の地、 写真左端に、櫛田神社の裏門が見えるほどの近さ。 今では祇園という博多の中心街だが、11世紀半ば、 「波打ち際」にできた宋人街が博多遺跡群にあたる。 宋商人(博多綱首)たちが軒並み「唐房」を築いて 日本初の中華街が誕生した(↓福岡市立博物館掲示)。 ちなみにそれ以前、7世紀後半〜11世紀半ばまでは、 福岡城跡・三の丸付近にあった筑紫館が、外交と 交易の拠点。後に↓鴻臚館(こうろかん)と呼ばれた が、立地は博多遺跡群よりさらに博多湾岸の低丘陵地。 ここで中央の役人が中国・朝鮮からの積荷を収容した。 つまりこの地に、外国商人が住むことはまだなかった。 おびただしい中国陶器は、それが国外に輸出された 8世紀後半から始まったという交易を如実に物語る。 鴻臚館には新羅や唐や宋の商人などによって、薬品、 香料、装飾品、仏典などの文物と共にもたらされた。 濃青色で図示された『中国製陶磁器のふるさと』。 別展示では阿児奈波(琉球)航路も示されていた。 トリミングして近寄ると、中央下2ヶ所の濃青色地帯 の西に、景徳鎮窯、龍泉大窯(赤丸で加工)がある。 荷積船は少し北東の港・寧波から出航したらしい。 10世紀、唐の滅亡から宋の建国に至る動乱があった。 中国東北部では、渤海が滅んで遼(契丹)が興り、 また朝鮮半島では、新羅が滅んで高麗が興った時代。 ちなみに日本では、その10世紀末、平将門の乱を きっかけにして律令制度が変質を始めたと言われる。 宋の建国を跨いで、東南アジアの交易は活発化した。 博多にあの宋商人居留地ができたのは、11世紀末。 12世紀末になると、平清盛が日宋貿易を発展させた。 日宋の私的貿易で富を築いたのは薩摩平氏の阿多忠景 だと考えていたが、こうして博多を歩いても、その名 には…ましてや、源為朝の名に出会うことはなかった。 つまり阿多忠景は、南薩摩の持躰松(万之瀬川河口) で、大規模な私的貿易を完結させていたのだろうか。 中国・大和・琉球を繋ぐ中継貿易なら最適地に思える。
by utoutou
| 2022-10-17 12:32
| 琉球王
|
Trackback
|
Comments(0)
|
by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||