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琉球国初代王・舜天〈49〉チャイナタウン

 11世紀半ば、日宋貿易の水際は博多港へと移動した。
「綱首」と呼ばれた宋商人たちが、「唐房」と呼ばれた
 商館を構えて、日本初のチャイナタウンが誕生した。
  
ただし、博多港の他にも各地に唐房があったことを、
九州の海岸部に残るトウボウという地名が物語っている。
佐賀県唐津、長崎県松浦、鹿児島県では加世田などに。
貿易利権が太宰府に一極集中していたわけではなく、
私的貿易(荘園貿易)は盛んに行われていたらしい。


 さて、博多から太宰府政庁跡(都府楼)へも行った。
 太宰府天満宮駅前から市バスに乗り、約10分で到着。
 正殿跡記念碑の手前に見える礎石が、かなりリアル。
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正殿跡から振り向くと跡地も広大。政庁の建物は、
朱塗りの柱に白壁、寄棟の大屋根…西の都として
政治的秩序を保つのに相応しい壮麗な建物だった。
※そのCG復元図は、国立九州博物館サイトに。
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 太宰府展示館には、その長い歴史を物語るジオラマ。
元号・令和の由来となったという大友旅人の万葉
 和歌「梅花の宴」に目を止めた。日宋貿易云々という
  11世紀よりはるか昔、飛鳥奈良時代の煌びやかさ…。
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「梅花の宴」の舞台になったとされる坂本八幡宮は、
 政庁跡の北西に鎮座している。御祭神は応神天皇。
 産土の神社にも、全国からの参拝客が増えた模様。
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ところで、先日のブログで、
奄美大島・宇検村の海底遺跡から、12〜13世紀の
おびただしい数の中国陶器が発掘された話を書いた。

阿多忠景ふただび」と題し、南宋貿易の南方ルートに
琉球初代王・舜天の後ろ盾だったと言われる阿多氏が
関わっていたと推理したが、その阿多氏の居城があった
 南薩摩の万之瀬川流域にもトウボウの地名が残っている。
この地にも、宋商人のチャイナタウンがあったようだ。

冒頭にも書いた鹿児島県加世田市の「当房」がそれ。
当房の苗字も多く、航海神・媽祖を崇めていたという。

その万之瀬川沿いにある持躰松遺跡から、主に琉球
 から出てくる遺物・カムィヤキ(亀焼)が発掘された。
  徳之島で焼かれた焼き物が、なぜそこにあったのか? 






by utoutou | 2022-10-25 07:50 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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