夢を見た。琉球本島の中南部、筋骨隆々な男性… 「海人(ウミンチュ)は魚を獲っていただけじゃない」 と言いながら、海岸沿いの道で荷さばきをしている。 漁の網は干してあるようだ。時代は12世紀のころか。 夢の中で、夏に訪れた当添(とうし)の港を思う。 いまは釣り場で有名。参考※沖縄釣り好き全員集合! 周辺には、ソントンが行商していたとの昔話もある。 そのソントンの道を辿るように行った高台から望む 海岸線。写真左は与那原町板良敷ゴミ処理センター。 当添からソントン所縁の大里南風原へは、車で10分。 さらに走り続けると、やはりソントン所縁の八重瀬に。 夢を見たのは早朝のこと。目が開いてから思った。 「やっぱり、津波古家が関係しているのだろうか?」 他でもない、カムィヤキ交易のことだ。 グスク時代以前に、南薩摩か徳之島からやって来た カムィヤキ商人の琉球側のビジネスパートナーについて 前回ブログから考えていたので、無意識に反応したか。 屋号・津波古は「つはぬく・つはのこ」と発音する。 初代王・舜天の墓と伝わる南風原大里の食栄森御嶽 (いいむいうたき)を管理する門中だと、語り部は言う。 アマミキヨ直系ミントン家に繋がる天孫氏との一説も。 夢に出て来たらしい当添漁港近くの当添公民館 (とうし・むらやー)に「村の歴史」の掲示があった。 「部落の発祥」は、尚質王時代(1648〜1668年)で 首里降り(士族の移住)がきっかけだったとあるが、 ここが漁港として発展したのは、南隣の津波古村から 漁業の様式が伝わったことで半農半漁となったという。 漁港としては、津波古のほうが歴史は古かったのだ。 ところで、 津波古(つかこ)地名や苗字は、ご存じ現代にもある。 また琉球王府では、東氏(津波古殿内)として公文書 作成や通訳に携わった知識人の家系で首里士族という。 舜天の墓地と言われる食栄森御嶽を管理していた 屋号・津波古と東氏の関係については不明だが、 食栄森御嶽の神屋に一文字の家紋がつく一対の燭台 があり、東氏の家紋と一致するのが妙に気になった。 ちなみに、 食栄森御嶽神屋に祀られるのは、中国「宋」の鏡。 祭りのない日は、基本的に神屋は施錠されている。 背ろから覗いても、鏡の背面は板張りされていた。 はたして津波古の海人は「魚を獲るだけじゃなく」 カムィヤキの交易に関わっていたのか? だとすれば、 舜天の伯父・大里按司との関わりにも確信が持てる。 語り部は大里按司の陰に阿多氏がいると言っていた。
by utoutou
| 2022-11-02 14:18
| 琉球王
|
Trackback
|
Comments(1)
Commented
by
utoutou at 2022-11-09 07:29
> 匿名さん
知らなかったことが多すぎて、だから発見となるわけなんですが(笑)。例えば久高島の神行事のイザイホーの様式にはヤマトの古代が埋もれていると感じていた時期がありました。でもその感覚はおそらくズレていて、琉球は琉球という主体であり東南アジア交易の要だったのだと考えるようになりました。琉球は「宝島」だったのですよね。
1
|
by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||