鹿児島県徳之島で11世紀から約300年にわたって 作られたカムィヤキと呼ばれる陶器(類須恵器)は、 鹿児島県の出水市や金峰町(阿多忠景の居城・小薗 遺跡など)はさて置き、北はトカラ列島から、南は 与那国島まで琉球列島の400に近い遺跡から出土した。 カムィヤキ陶器窯跡について詳しくはこちら。 カムィヤキの森など徳之島観光マップはこちら。 写真は伊仙町犬田布岬(戦艦大和慰霊塔)を拝借。 カムイヤキの陶器は、 指で弾くと金属音がするほど硬い焼き物だという。 窯跡が見つかった徳之島伊仙町は火山性の土壌のため、 素材の粘土には鉄が含まれていたことが分かっている。 ところで、 ソントン伝説の残る沖縄本島の南城市では、島添大里 グスクをはじめ大半のグスク跡から出土しているが、 その数は「出土遺跡一覧」には反映されない。つまり 逆に琉球弧すべてからの出土となると、さらに多数に。 そう言えば、3年前に沖縄本島北部の金武鍾乳洞遺跡 から、沖縄国際大学の学生が完全な形のカムィヤキ を発掘したと言う報道があったのは、記憶に新しい。 カムィヤキの種類は、壺、甕、椀、水柱。なかでも、 もっとも多く焼かれ、出回ったのは「壺」だったという。 ↓写真は新里亮人著『琉球国成立前夜の考古学』より拝借。 新里氏は、壺の用途を「貯蔵器」だったと記している。 琉球の中世は人々の生活が漁労から農作へと変化した 時代。それは五穀の種を貯蔵するための器だったかと、 私は密かに想像している。例えば、久高島の五穀発祥 伝説によれば、壺に入った五穀の種は伊敷浜に漂着した。 薩摩平氏に委託された奄美の海人が壺を運んだのでは? いっぽう、カムィヤキの話になると、語り部は言う。 「その壺は、発酵に使ったのではないかと思います。 味噌甕や醤油甕は相当に古い琉球文化だったろうと」 語り部の発する「甕」は、カムィヤキの「カムィ」と 同音に聞こえる。甕というより「カミ」に近いというか。 どうしても酒造りの神・大山祇神を連想してしまう…。
by utoutou
| 2022-11-10 15:47
| 琉球王
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