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琉球国初代王・舜天〈51〉カムィヤキの用途

鹿児島県徳之島で11世紀から約300年にわたって
作られたカムィヤキと呼ばれる陶器(類須恵器)は、
鹿児島県の出水市や金峰町(阿多忠景の居城・小薗
遺跡など)はさて置き、北はトカラ列島から、南は
 与那国島まで琉球列島の400に近い遺跡から出土した。


カムィヤキ陶器窯跡について詳しくはこちら
カムィヤキの森など徳之島観光マップはこちら
写真は伊仙町犬田布岬(戦艦大和慰霊塔)を拝借
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カムイヤキの陶器は、
指で弾くと金属音がするほど硬い焼き物だという。
窯跡が見つかった徳之島伊仙町は火山性の土壌のため、
素材の粘土には鉄が含まれていたことが分かっている。

ところで、
ソントン伝説の残る沖縄本島の南城市では、島添大里
グスクをはじめ大半のグスク跡から出土しているが、
その数は「出土遺跡一覧」には反映されない。つまり
 逆に琉球弧すべてからの出土となると、さらに多数に。


そう言えば、3年前に沖縄本島北部の金武鍾乳洞遺跡
から、沖縄国際大学の学生が完全な形のカムィヤキ
 を発掘したと言う報道があったのは、記憶に新しい。
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カムィヤキの種類は、壺、甕、椀、水柱。なかでも、
 もっとも多く焼かれ、出回ったのは「壺」だったという。
 ↓写真は新里亮人著『琉球国成立前夜の考古学』より拝借。
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  新里氏は、壺の用途を「貯蔵器」だったと記している。
 
 琉球の中世は人々の生活が漁労から農作へと変化した
  時代。それは五穀の種を貯蔵するための器だったかと、
 私は密かに想像している。例えば、久高島の五穀発祥
  伝説によれば、壺に入った五穀の種は伊敷浜に漂着した。
  薩摩平氏に委託された奄美の海人が壺を運んだのでは?

  いっぽう、カムィヤキの話になると、語り部は言う。
 「その壺は、発酵に使ったのではないかと思います。
  味噌甕や醤油甕は相当に古い琉球文化だったろうと」

   語り部の発する「甕」は、カムィヤキの「カムィ」と
    同音に聞こえる。甕というより「カミ」に近いというか。
    どうしても酒造りの神・大山祇神を連想してしまう…。




by utoutou | 2022-11-10 15:47 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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