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琉球国初代王・舜天〈52〉奄美の海商集団

今帰仁城の歴史文化センターで見たカムィヤキ
(画像はこちらのブログに)は縦30㎝ほどの壺だった。
 横幅は約20㎝、開口部の幅は約10㎝と細くなっている。
 
いっぽう金武鍾乳洞遺跡から出た甕は、口の大きい
  ズングリ型。まさに語り部の言う味噌甕のような形だ。

甕を発見した沖縄国際大学考古学ゼミの准教授である
宮城弘樹氏は著書『琉球の考古学』で、カムィヤキは
琉球で11世紀に始まった農耕社会に必須の三種の道具
 のひとつだったと記す。穀物を煮炊きする石鍋、椀、
籾などを貯蔵するカムィヤキの3点セットが琉球一円に
 普及、鉄の道具も加わり内陸の開発が急速に進んだと。

   カムィヤキの生産地は、奄美・徳之島の伊仙町亀焼。
   窯跡が発見されたのは1983年、それ以前は九州南部説、
  沖縄を含む南島説、朝鮮半島説と、諸説あったという。

  琉球から出土するカムィヤキの窯跡が奄美にあった
   という発見は、琉球国の成立過程を知る手がかり。
  それが分布する範囲は、そのまま後の琉球王国の領域だ。
  
  カムィヤキを生産し流通させた海商とはどんな集団か。
  琉球諸島にも陶器の素材となる粘土はあったはずだが、
   徳之島に一大生産センターが作られたのはなぜなのか。
  琉球国初代王・舜天との関係とも相まって、興味深い。

ところで、琉球に次いでカムィヤキが大量に出土した
 のは、奄美大島の東25㎞の洋上に位置する喜界島だ。


↓こちらは以前、東京から那覇空港に向けて飛ぶ機内
 の窓側から撮った写真。何島かは分からなかったが…。
琉球国初代王・舜天〈52〉奄美の海商集団_a0300530_11540650.jpg







那覇空港着陸の30分前だった。奄美大島に近い離島。
Wikipediaを見て、あれは喜界島だったと知る。
琉球国初代王・舜天〈52〉奄美の海商集団_a0300530_10495427.jpg







自前写真を上下反転すると、島の北部だと分かった。
琉球国初代王・舜天〈52〉奄美の海商集団_a0300530_10523655.png






この北部に、源氏と平氏に所縁の地があるという。
東海岸の入江(写真下)に「平家上陸の地」があり、
西海岸の入江に、源為朝の上陸地と伝わる泉がある。

舜天の父・為朝は、どんな目的でこの島に来たのか?
あるいは、何故その伝承が現代まで残っているのか?

ちなみに、カムィヤキが大量出土した城久遺跡群は、
喜界島中央部の城久集落を中心に、8ヶ所から成る。
9〜15世紀の日宋貿易を窺わせる陶磁器や、この島が
九州と沖縄を繋ぐ接点であることを物語る遺物が出た。

そんなわけで、来週は初めて喜界島に渡ることに…。



by utoutou | 2022-11-16 14:19 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
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