今帰仁城の歴史文化センターで見たカムィヤキ (画像はこちらのブログに)は縦30㎝ほどの壺だった。 横幅は約20㎝、開口部の幅は約10㎝と細くなっている。 いっぽう金武鍾乳洞遺跡から出た甕は、口の大きい ズングリ型。まさに語り部の言う味噌甕のような形だ。 甕を発見した沖縄国際大学考古学ゼミの准教授である 宮城弘樹氏は著書『琉球の考古学』で、カムィヤキは 琉球で11世紀に始まった農耕社会に必須の三種の道具 のひとつだったと記す。穀物を煮炊きする石鍋、椀、 籾などを貯蔵するカムィヤキの3点セットが琉球一円に 普及、鉄の道具も加わり内陸の開発が急速に進んだと。 カムィヤキの生産地は、奄美・徳之島の伊仙町亀焼。 窯跡が発見されたのは1983年、それ以前は九州南部説、 沖縄を含む南島説、朝鮮半島説と、諸説あったという。 琉球から出土するカムィヤキの窯跡が奄美にあった という発見は、琉球国の成立過程を知る手がかり。 それが分布する範囲は、そのまま後の琉球王国の領域だ。 カムィヤキを生産し流通させた海商とはどんな集団か。 琉球諸島にも陶器の素材となる粘土はあったはずだが、 徳之島に一大生産センターが作られたのはなぜなのか。 琉球国初代王・舜天との関係とも相まって、興味深い。 ところで、琉球に次いでカムィヤキが大量に出土した のは、奄美大島の東25㎞の洋上に位置する喜界島だ。 ↓こちらは以前、東京から那覇空港に向けて飛ぶ機内 の窓側から撮った写真。何島かは分からなかったが…。 那覇空港着陸の30分前だった。奄美大島に近い離島。 ↓Wikipediaを見て、あれは喜界島だったと知る。
by utoutou
| 2022-11-16 14:19
| 琉球王
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