奄美大島からエアラインで20分、フェリー2時間の 喜界島(鹿児島県大島郡喜界町)へ。迷わず飛んだ。 羽田を午前に経ち、到着は午後4時。あいにく雨模様。 明けて2日目も大雨だったが、城久(ぐすく)遺跡へ。 位置は↓こちら(空港前で撮った地図写真に赤丸加工) 街中にある空港から、車で10分ほどしかかからない。 島で2番目の高さの海岸段丘(90〜160m)にある。 中世集落としての条件を満たしたのは、その立地か。 ![]() 国指定史跡の城久遺跡とは、8つの遺跡の総称で、 9〜15世紀にかけての長期間に集落のあったところ。 この集落が、琉球・中国・朝鮮半島・ヤマトを結ぶ 交易拠点だったことは、多くの研究が物語っている。 最盛期だった11世紀後半〜12世紀に「白磁製の椀・ 滑石製石鍋・カムィヤキ」という、同じ時期に琉球 全域に広がった遺物が出土したが、ちょうど舜天即位 のそれと重なることに、私などは強く興味を引かれる。 総面積は17万m2。東京ドームの4ケ分ほどで広大だ。 ここからは島内の他の遺跡から出る兼久式土器などは ほとんど出ないため、「非在地性遺跡群」と呼ばれる。 出土品の8割以上が、本土・中国・朝鮮半島で生産 された陶磁器、その他が徳之島産のカムィヤキという 構成も、ここが琉球特産の夜光貝・赤木・檳榔などを 得るための交易拠点だったと、近年指摘される根拠だ。 日宋貿易で金と権力を得たものの、平清盛に追放 された阿多忠景が、この新天地で最盛期を招来したか と、私は密かに考えるが、出土品を展示する近くの 埋蔵物文化センターには、ただ遺物が整然と並ぶのみ。 完全形のカムィヤキを初めて見た。右の壺の色が 濃淡なのは光線の加減。全面が鉄色っぽいグレーだ。 幅は20㎝弱。やはり稲籾など種の貯蔵器だったか。 ![]() 遺跡の全景写真は、センターの展示解説から↓拝借。 奄美大島側から太平洋方向に向け空から撮ったもので、 写真左の土色に見える縦長の区域が城久遺跡群となる。 ![]() 街から近いとは言っても、この遺跡群、サトウキビ畑 …遺跡…サトウキビ畑…現集落は見えるが…サトウキビ畑 …遺跡という感じで、出口のない迷路のように続いている。 300棟以上あった掘立柱建物跡が復元されたという 山田半田遺跡を目指したが、雨の中で右往左往した。 が、走るうち偶然にも城久遺跡のひとつ、前畑遺跡に 出くわした。9世紀〜12世紀の遺跡で、石敷遺構 (石敷きの道跡)や炉跡や鎌状の鉄製品が出たという。 ここからも100棟の掘立柱建物跡が出た、との説明も。 ![]() その中で吉成氏は(最盛期の)城久遺跡群の経営主体 は「宋商人、高麗商人、南九州の勢力」だと記す。 南九州の勢力とは、阿多忠景の薩摩平氏ではないか?
by utoutou
| 2022-11-23 21:13
| 琉球王
|
Trackback
|
Comments(0)
|
![]() by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||