人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球国初代王・舜天〈54〉喜界島ざわわ巡り

喜界島の旅2日目。完璧には晴れなかったものの、
とりあえず好天に恵まれ、順調に遺跡・史跡巡り。
城久遺跡群の中で、最盛期11世紀後半〜12世紀の
中心的な建物跡を復元している、山田半田遺跡へ。

 東京ドームほどの範囲に、建物が整然と並んでいた
  と、調査結果で読んだ。遺跡群最大の建物群がある。
琉球国初代王・舜天〈54〉喜界島ざわわ巡り_a0300530_09500137.jpg







一帯はサトウキビ畑が続き、ざわわ…と風が渡る。
中世にはここに、大陸と太宰府と琉球とヤマトを結ぶ
 交易拠点があった。経営は薩摩の領主層とも言われる。

看板の先が奄美大島方向。城久という高台からは
大島と喜界島の間の海域を一望でき元寇対策も万全?
琉球国初代王・舜天〈54〉喜界島ざわわ巡り_a0300530_09505971.jpg








 遺跡の周辺。喜界島第二のこの高所に交易の拠点を
 置いた理由は立地だと確信。島の最高地・百之台
  も行ったが、太平洋寄り。対するここは島の中央。
琉球国初代王・舜天〈54〉喜界島ざわわ巡り_a0300530_06511440.jpg








山田半田遺跡にある掘立柱建物跡の拡大写真と
建物の復元図が、埋蔵文化財センターにあった。
 役所なのか。⓶の建物が最大規模で白磁が出土した。
琉球国初代王・舜天〈54〉喜界島ざわわ巡り_a0300530_14480598.jpg







ところで、
埋蔵文化財センターは、城久遺跡群の最高所にある。
滝川という地名の通り川泉があり、水神社が鎮座。
なるほどと思う。この高台は、風と水に恵まれた
 タタラ製鉄の好適地でもあったのだろう。
琉球国初代王・舜天〈54〉喜界島ざわわ巡り_a0300530_15405782.jpg




遺跡群の大ウフ遺跡からは多くの炉跡が見つかり、
10〜12世紀にも、砂鉄製鉄から鍛治まで、一連の
作業が行われていたことが分かっているという。

ちなみに、埋蔵文化財センターは旧滝川小学校の
校舎を利用している。そのためか、展示室には
小学生用の机と椅子が置いてあったので、着席して
資料を読んでいた。ふと見ると、机の中に展示説明
 のためのフリップか、鍛治炉を描いたイラストがある。


琉球国初代王・舜天〈54〉喜界島ざわわ巡り_a0300530_06470088.jpg






たとえば、出雲や岡山で見た古代タタラ製鉄の形と
 印象が違うような気がして、しばし凝視していた。

  この炉は、外壁というか全体像がなだらかな曲線だ。
  どうやら私が本土で見た、四角ばった炉とは異なる。
 
 九州のどこかの古代製鉄地帯のものと似ているが、
  さてどこで、いやどのサイトで見たものだったろう…。
  貝の道、陶器の道があるように、鉄の道もあったのか。









by utoutou | 2022-11-28 20:56 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 琉球国初代王・舜天〈55〉阿多... 琉球国初代王・舜天〈53〉喜界... >>