喜界島埋蔵文化財センターで見た解説の図によると、 溶鉱炉の構造は地面から粘土で炉壁を立ち上げる型。 それは、九州西海岸の製鉄遺跡群に見える特徴で… という話を、以前ネットで読んだ記憶がある気がする。 センターを出て車内で検索。記事はすぐ見つかった。 ![]() 歴史新発見 鹿児島県喜界島(2015年、日経電子版) 愛媛大教授で考古学者の村上恭通氏のコメントがある。 「(城久遺跡群の)箱形でない円筒形に近い炉は、熊本 県付近の製鉄炉の特徴で、技術的な影響を受けている。 喜界島の在地の人々が何らかの方法で模倣したようだ」 そこでふと思ったのは、時代はかなり遡るが、 球磨川や菊池川流域にいたという隼人(熊襲)のこと。 過去ログ「隼人の鉄」に↓こんなことを書いていた。 閩越の民は新天地を求めて海を渡り、薩摩半島 の野間岬に漂着、鉄の農具で稲作を始めた。 「アタ族」とも呼ばれていた彼らは、現在の 日置郡金峰町に定住して「阿多隼人」となった〜 産鉄技術に長けた隼人族は、やがて阿多郷から 九州各地の河川沿いに広がった。球磨川流域や、 菊池川河口(現在の熊本県)、筑後川(福岡県)へ。 隼人族がまず渡来した日置郡金峰町には吹上浜がある。 万之瀬川の河口でもある砂浜では、製鉄材料の真砂が 採れたという。5㎞上流にある持躰松(遺跡)の松も、 製鉄に不可欠な燃料として活用されたに違いない。 中世、その持躰松を本拠にした阿多忠景が日宗貿易 で繁栄して郡司となり、太宰府との関係を密にする。 そもそも忠景の曽祖父・平季基は太宰府の役人だった。 薩摩を追われた阿多忠景は、やはり曽祖父ゆかりの この島へ逃げてきたのだったか。その100年前から 喜界島には太宰府の出先機関があり、関係者がいた。 (つづく) 城久(遺跡群)の始まりは平安時代の初期(9世紀) だった。※埋蔵文化財センターの掲示から拝借 ![]() 島の南西海岸に位置する喜界空港からスギラビーチ↓ 一帯には隆起サンゴ礁が広がる。つまり島からは砂鉄 など産鉄材料は採れない。ではいったいどこから? ![]() 平家転覆の陰謀発覚で流罪となった僧侶俊寛の墓。 1170年没。ここは京の都から遠い異国の島だった ![]()
by utoutou
| 2022-12-04 20:32
| 琉球王
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Comments(3)
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> coconuts2924さん
おはようございます。喜界島に島流しになった俊寛さんと金武観音堂を建てた日秀上人は、どちらも真言宗の僧侶ですが、12世紀と16世紀で時代が違うようです。ただ、金武鍾乳洞からは(11から14世紀に作られた)カムィヤキが出土していますから、金武と喜界島とはそれで繋がっているとは言えるかもしれませんね。
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