城久遺跡群の大ウフ遺跡から大規模な製鉄跡が 現れた喜界島には、太宰府の出先機関があった。 『日本紀略』など、いくつかの文献に、太宰府 管内(九州諸国)で起きた南蛮(奄美嶋人の海賊) による襲来事件の記事が見えるが、それらによると、 998年、太宰府は「貴駕島(喜界島)」に南蛮を 捕えることを下知し(命じ)たという。※永山修一 氏「文献から見えるキカイジマと城久遺跡群」参照 一度に数百人を襲い略奪する事件を起こした海賊を 捕えるほどの軍事力を有する集団が、喜界島にいた。 国家機関ならではの組織が存在したとのことらしい。 一説に、襲撃の対象となっていたのは各地の海人、 背景には夜光貝などの交易トラブルがあったという。 10世紀初頭に唐が滅亡してから、東シナ海の交易は 自由化され、海賊が活発に動くようになっていた。 島の居酒屋で夜光貝のお刺身をいただいた。美味。 刺身盛り一人前1100円で、夜光貝入りだと1450円。 バター焼や天ぷらもあった。貝殻の中はほぼ真珠色。 螺鈿の素材だった夜光貝は中尊寺金色堂などを飾った。 南島の夜光貝・赤木・檳榔は平安貴族が珍重した品々。 ![]() ところで、 話は前回の「喜界島の鉄」に戻るが、くだんの新聞 記事で、村上教授は琉球への影響にも言及している。 氏が、影響を受けた遺跡として挙げたのは、 喜界島の製鉄鍛治の集中生産は、それが琉球への 戦略物資だったことを物語るのではないかと言う。 私が旅のお供にした『琉球史を問い直す』にも、 後兼原遺跡など琉球各地には、喜界島からの移住 集団がいたことが推察されると、記されている。 後兼原遺跡からはグスク土器が出たが、それ以前 の土器が出土しないのは人々が渡来したからだと。 そう言えば、久高島には、喜界島から来た祖神 「キィキャ大主」が戦後まで祀られていたというが、 そうした移住集団の首長だったのかもしれない。 カニマンと呼ばれた人々は同時に稲作も伝えた。 つまり、鉄と米作りのノウハウを供給できた 渡来集団が、琉球王国成立の鍵を握っていたか。 その魁が、舜天を生む「火の一族」なのだろうと、 「サトウキビの一本道」を車で北上しながら思った。 ![]() ![]()
by utoutou
| 2022-12-07 16:05
| 琉球王
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