人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球国初代王・舜天〈60〉奄美から移住した「ヒャー」

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はご訪問ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2023年最初のブログは、喜界島の最高地点
 ・百之台の話題から始めてみたいと思います。
琉球国初代王・舜天〈60〉奄美から移住した「ヒャー」_a0300530_06490340.jpg








約10万年前から、年間2㎜隆起しているという
 この珊瑚礁台地の高さは、最高地点で211m。
 広さは700ha。太平洋と東シナ海を見渡せる
  喜界島の中央部に位置、今は公園となっている。
琉球国初代王・舜天〈60〉奄美から移住した「ヒャー」_a0300530_06571781.jpg








地名の由来は、「百」の意味にあるという。
福寛美・著『喜界島・鬼の海域--キカイジマ考』
には、次のように説明されている。

〜百の字は当て字で、百之台の「ひや」はヒャー、
すなわち南西諸島の男性支配者である按司(あじ)
の古い言い方です。つまり百之台の名は
男性支配者のいる台地を意味します〜
琉球国初代王・舜天〈60〉奄美から移住した「ヒャー」_a0300530_07150803.jpg








百の語源がヒャーだということは、喜界島への旅
の後で読んだその本で知った。百之台を訪れたとき
には、「太宰府の出先機関は、なぜこの最高地に
 陣取れなかったのか」と、不思議に思ったものだ。

しかし、ヒャー(首長)が存在していたのなら、
そこには古来、血族集落(マキョ)があった可能性
が高く、それならば、交易センターが島で2番目の
  高地・城久に築かれたことは、自然の成りゆきか。


 百之台から見渡す西の海上には奄美大島が浮かぶ。
話は変わるが、
実はその大島の100㎞南方に位置する沖永良部島
から琉球へと移住した、あるヒャーをめぐる伝説が
 沖縄本島南部の玉城にある。昨日それを思い出した。
琉球国初代王・舜天〈60〉奄美から移住した「ヒャー」_a0300530_06561847.jpg







 その人の名は、「伊良部の比屋(ひゃー)」。

 これまで、比屋とは固有名詞だろうと考えていた。
その名を玉城の民話で読んだときも、語り部から
 聞いたときも、少しの違和感もなかったものだが、
 按司の古い言い方だったとは思いもよらなかった。

ともかく、そのヒャーは、時代は降って英祖王統
 五代の西威王(1337〜1349年)の養育係を務めた
  という。西威王は10歳で玉城王から王位を継いだ。

 奄美群島の沖永良部島から来たヒャーは、なぜ、
 どのようにして玉城天孫氏の側近に成り得たのか?
つづく…。





by utoutou | 2023-01-05 16:05 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 琉球国初代王・舜天〈61〉伊良... 琉球国初代王・舜天〈59〉アマ... >>