新年あけましておめでとうございます。 旧年中はご訪問ありがとうございました。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 2023年最初のブログは、喜界島の最高地点 ・百之台の話題から始めてみたいと思います。 ![]() 約10万年前から、年間2㎜隆起しているという この珊瑚礁台地の高さは、最高地点で211m。 広さは700ha。太平洋と東シナ海を見渡せる 喜界島の中央部に位置、今は公園となっている。 ![]() 地名の由来は、「百」の意味にあるという。 福寛美・著『喜界島・鬼の海域--キカイジマ考』 には、次のように説明されている。 〜百の字は当て字で、百之台の「ひや」はヒャー、 すなわち南西諸島の男性支配者である按司(あじ) の古い言い方です。つまり百之台の名は 男性支配者のいる台地を意味します〜 ![]() 百の語源がヒャーだということは、喜界島への旅 の後で読んだその本で知った。百之台を訪れたとき には、「太宰府の出先機関は、なぜこの最高地に 陣取れなかったのか」と、不思議に思ったものだ。 しかし、ヒャー(首長)が存在していたのなら、 そこには古来、血族集落(マキョ)があった可能性 が高く、それならば、交易センターが島で2番目の 高地・城久に築かれたことは、自然の成りゆきか。 百之台から見渡す西の海上には奄美大島が浮かぶ。 話は変わるが、 実はその大島の100㎞南方に位置する沖永良部島 から琉球へと移住した、あるヒャーをめぐる伝説が 沖縄本島南部の玉城にある。昨日それを思い出した。 ![]() これまで、比屋とは固有名詞だろうと考えていた。 その名を玉城の民話で読んだときも、語り部から 聞いたときも、少しの違和感もなかったものだが、 按司の古い言い方だったとは思いもよらなかった。 ともかく、そのヒャーは、時代は降って英祖王統 五代の西威王(1337〜1349年)の養育係を務めた という。西威王は10歳で玉城王から王位を継いだ。 奄美群島の沖永良部島から来たヒャーは、なぜ、 どのようにして玉城天孫氏の側近に成り得たのか? つづく…。
by utoutou
| 2023-01-05 16:05
| 琉球王
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