西威王の養育係が伊良部の比屋(いらぶのひやー) と呼ばれる人だったという話は、アマミキヨ 直裔・ミントン門中の窪田道全氏が著した書 『如件(くだんのごとし)』に残っているが、 西威王とは、舜天王統(三代、1187年--1260年) の次に続く英祖王統(五代、1260年-- 1350年) の最後に即位することになった幼王。舜天王から百年 以上も後の時代のことだ。そこで語り部に相談をする。 「伊良部の比屋を書くなら、舜天王のシリーズと時代 が合わなくなったので、タイトルを変えようかと…」 すると、語り部はこんなふうに答えたのだった。 「まだよいのでは。天孫氏の歴史は続いていますから」 …というわけで、このシリーズを続けることに。 玉城王の世子である西威王は、久高島の出身という。 玉城から渡島して久高島の始祖となったミントン家 の娘ファガナシーと従兄弟のシラタル夫婦の二女が、 玉城王の妃となり、後の西威王・思金松兼を生んだ。 (やがて世子として認められる話は「黄金のうりざね」 として『遺老説伝』に残された。ブログではこちらに) 西威王の産屋は久高島の祭場・外間殿にある(左)。 屋内にイザイホーの祭具・七つ橋も収納されている。 1月22日の旧正月は、外間殿で島人が集いお祝いする。 ![]() 中山王となっていた玉城王が41歳で薨じた後、 即位した西威王は10歳。『中山正鑑』によれば、 その「政治のすべては母后が後見した」というが、 『如見』によれば「伊良部の比屋は養育係」となり、 政治は従兄(母が玉城王の姉)の察度が担った。 人々の勧めもあり察度に王位に譲ると、それを 不服とした伯父(玉城王の兄)は西威王を斬った。 伊良部の比屋は残された妻子と玉城城で暮らした。 やがて伊良部の比屋は、「伊良部王」と呼ばれた。 語り部は言う。 「伊良部王は沖永良部島から来たという話は聞きました。 ↓玉城城の城下に「伊良部の殿(とぅん)」の拝所が あり、その畑を、神女おばぁたちが世話していたのを よく覚えています。600年以上前にいた方のことを、 玉城天孫氏の子孫はこの戦後まで崇めていたわけです」 ![]() ちなみに、語り部が薫陶を受けた神女おばぁの ウメさんは、西威王の長男腹(系)の霊位も崇めた。 私はウメさんの娘さんに話を伺ったことがあるが、 「西威王の守り役だった伊良部王も、こちらで 崇めてている」と聞いた。↓上之当大城家の神壇 ![]() なぜ伊良部王は、琉球本島の南部・玉城へ来たのか? 詳細は分からないが、本島北部との関係は気になる。 14世紀、琉球国山北王が今帰仁を拠点にする前から、 その麓には、玉城という古い集落があったという。 沖永良部島は沖縄本島の北から60㎞の位置にある。 地図はえらぶ島づくり事業共同組合サイトから拝借 ![]()
by utoutou
| 2023-01-13 20:10
| 琉球王
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