さて、前回書いた西威王の養育係・伊良部の比屋が、 なぜ沖縄本島の南北にある玉城に関係すると思うか? 沖永良部島にも玉城(現・和泊町)があったという が、伊良部の比屋がいたという話は見つからない。 ただし、沖永良部島の玉城には永良部世之主がいた。 島の娘が生んだ北山王の子、幼名・真松千代である。 それは14世紀末のことで、西威王の時代より数百年 も降るが、北山と沖永良部島の関係がさらに古くから あったなら、伊良部の比屋の琉球移住はあり得る。 英祖王統五代・西威王が「西威」を名乗るゆえんは、 「その領地が、北山の防衛戦にあたる読谷間切の大西 にあったから」と伝わっている。つまり、西威王を 育てた伊良部の比屋は北山を本拠としていたわけだ。 伊良部の比屋が、西威王の遺した妻子と暮らした という沖縄本島南部玉城にある玉城城。 西威王の没後、比屋は初めてこのグスクを見上げた
by utoutou
| 2023-01-20 21:06
| 琉球王
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Comments(1)
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by
utoutou at 2023-01-25 08:38
> 匿名さん
こんにちは。玉城の湧川さんにお話を伺ったことがありますが、今帰仁への巡礼(今帰仁上がり)は欠かさないとおっしゃっていました。そこに浮かぶ北山・中山・南山の人々の相互のつながりは、やがて琉球王朝の成立に関わっていくのではと、考えています。奥武島、そうでしたね、またお邪魔して歩いてみたいと思います。
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by utoutou
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