人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球国初代王・舜天〈65〉宗像三女神

宇佐神宮の奥宮である大元神社が鎮座する
御許山と、琉球の最高峰・於茂登岳(石垣島)。
山名の「おもと」は、天の神の御座所の意味という。
すると、於茂登岳の麓にはその天の神を祀る民が
いて、人々は全国の八幡宮総本山宇佐神宮御祭神
比売大神こと宗像三女神を崇めていたことになるか。

三女神は道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれた
「航海の神」「海上安全の神」「交易の神」であり、
平清盛が崇敬していたことは有名な話…いや、平家
のみならず平氏源氏の双方にとっても守護神だった。
 琉球においても、三女神はその神格で語り継がれた。

軍神・八幡神を祀る神女としての「航海の神」は、
〜 長女が沖縄本島南部、首里の弁が岳の神になった。
三女の君南風(きみはえ)は、久米島の神になった。
 次女は八重山の於茂登岳の神になった 〜と伝承された
 ことが『琉球国由来記』や『おもろさうし』に見える。

 語り部からも、これまで度々その伝えを聞いてきた。
そこで、三女神についての素朴な疑問を投げかけた。
「八幡神は、倭寇が崇めた軍神ですよね。では
 宗像三女神は倭寇が活動する13世紀から琉球に来た?」

 語り部は「違いますよ、もっと古くから」と答える。
「太古の昔から、それこそ中世まで、いや王朝の
時代、また近世にも、宗像三女神を崇める海人族は、
 琉球に渡来したり、往来していたりしたと思います」


それほど密接な宇佐と琉球。10年前、宇佐神宮に
 参った後に宇佐空港で食した、こちら近世の琉球海人
 の船上食だったと言われる琉球丼。濃厚で美味だった
琉球国初代王・舜天〈65〉宗像三女神_a0300530_15520276.jpg








ところで、沖縄本島最北端の辺戸岬に近い宇佐浜遺跡
(国頭村辺戸)は、貝塚時代後期(=縄文時代晩期)
の遺跡だと言われる。またいっぽう、やはり、沖縄
本島北部の名護市宇茂佐(うもざ)にある古島遺跡
 は、中世になって宇佐から渡来した人々の住居跡
  らしい。どちらも宇佐に因む地名だと語り部は言う。


10年前に参った宇佐神宮。こちら↓二之御殿には、
比売大神が鎮座する。由緒によれば、まず比売大神
が祀られ、その後に、応神天皇を崇めた渡来の人々が
この地に、つまり御許山に「天の神」を祀ったという
琉球国初代王・舜天〈65〉宗像三女神_a0300530_15542793.jpg







「琉球国初代王・舜天」から、話が逸れてきたような
 気がする。次回ブログからシリーズを変えるべきか
 …などと考えつつ、雨上がりの那覇空港に着いた。
琉球国初代王・舜天〈65〉宗像三女神_a0300530_12025563.jpg






by utoutou | 2023-02-06 22:56 | 琉球王 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< グスクの時代〈1〉今帰仁村へ 琉球国初代王・舜天〈64〉もう... >>