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グスクの時代〈6〉天女神加那志

今帰仁城内 ↓ クボーの御嶽の山麓にある洞窟で、
沖縄人の祖として三男二女を産んだという伝説の
 女神は、今帰仁御神(なきじんうかみ)と呼ばれた。
 「クボー御嶽の母神」または「天女神」という敬称も。
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 城外の集落跡(15〜16世紀)から見るクバ山。
今帰仁城の内外どこからもその姿は見えたという
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天女神加那志(てんじょしん・がなし)の神名を
聞くのは初めてではない。振り返るとあれは7年前
の夏のことだった。本島南部の玉城(南城市)で、
 語り部を囲む茶話会を催したとき、その話になった。

そして、「沖縄の天女伝説①斎場御嶽」を書いた。
ちょうど、沖縄の天女伝説と産鉄との関係に関心が
 あり、その伝承地を歩きたいと沖縄への旅をしていた。
 すぐに語り部の口から出たのが、「天女神」だった。

その御骨が、斎場御嶽の奥宮ナーワンダーグスクに
 埋葬されているという伝承も、初めて聞く話だった。
 いま『琉球祖先宝鑑』を開くと、当時の付箋のまま。
グスクの時代〈6〉天女神加那志_a0300530_07041187.jpg
  







 時を置いて先日、天女神は「クボーの御嶽の母神」
として、また今帰仁村湧川の天孫氏・新里家の
 先祖↓天帝子妃として崇拝されてきたことを知る。
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天帝子・天女神の二神は、アマミキヨ居住地という
 玉城ミントン家(天孫氏)家系図にも記されている。

ナーワンダーグスクの真下に位置する斎場御嶽の
 拝所・寄満(ゆいんち)では、琉球第二王朝の初期
  に、聞得大君の就任式や戦勝祈願が行われたという。

「天女神加那志は聞得大君のはじまり」と、あのとき
   語り部は言った。そして私はいま、こう考えている。 
   天女神伝承はグスク時代のはじまりを示唆している。



by utoutou | 2023-02-25 14:27 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(3)
Commented at 2023-02-27 15:58
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2023-02-27 17:21
> nemeron1445さん
初めまして。楽しんでいただいている! というコメントは励みになります🙇‍♂️
何度かお話し会を催したところ、語り部さんの能力に挑む…という感じの方が以前は多く来られて、それですとブログのお話会の趣旨とはかけ離れてしまい、続けるのは難しいかなと判断してから何年か経ちました💦
また、みなさんで情報交換ができたら楽しいですね。考えてみますね。
Commented at 2023-03-03 22:44
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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