二十五代の王がいたという、天孫氏王朝。 その始祖と伝わるのは天帝子・天女神の一対神で、 ウチナンチューの母神とも呼ばれる天女神加那志は、 今帰仁城のクバの御嶽、斎場御嶽のナーワンダーグスク に坐すと、これも古くから伝承されたと語り部は言う。 ![]() 今帰仁「グスクの御嶽」と、斎場「御嶽のグスク」。 同じ天女神を崇めるものの、聖地としての呼称は逆。 どうしてそうなったのか? と旅の最中から考えていた。 つまり、御嶽とグスクは、どう違うのだろうかと。 そうして辿り着いた自分なりの結論は、こうだ。 今帰仁城のクバの御嶽と斎場御嶽のナーワンダーグスク を比べると、古いのはナーワンダーグスクだろう。 なぜなら、ここは天孫氏の母神=天女神の風葬地。 ナーワンダーとはナデルワ(祖先神の霊力)の意味。 農耕時代以前にあったグスク(血族集落・マキョ)の 腰当森(ふさてぃむい=拝み山)だと伝承されてきた。 時代で言えば、初代琉球国王・舜天即位と伝わる 12世紀末(1187年)以前からナーワンダーはあった。 その巨岩を含む後の斎場御嶽は、村の腰当森だった。 いまは立入禁止となっているナーワンダーグスク。 ナーワンダーグスク登頂(過去ログ)時の写真 ![]() いっぽう御嶽という観念は、琉球王府による歴史書 『中山世鑑』に、「琉球開闢七御嶽」が記されたとき 誕生した。斎場御嶽に↓三庫理、寄満という首里城 と同名の拝所が設けられたことから、それが分かる。 ![]() 『神と村』の著者・仲原弥秀氏の論文『グシク考』 によれば、「グスクの本質は聖域であり、その中の 一部がやがて城塞として発展したのでは…」という。 今帰仁グスクや勝連グスクなど城塞化したグスクは、 内部に聖域を持つがゆえにグスクと呼ばれたのだと。 聖域としてのグスクから、城塞としてのグスクへと 発展させたのは、各地で誕生した按司(あじ)たち。 グスクの時代とは按司たちが台頭していった時代…。
by utoutou
| 2023-03-02 16:35
| グスク・御嶽
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