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グスクの時代〈7〉グスクの時代のはじまり

二十五代の王がいたという、天孫氏王朝。
その始祖と伝わるのは天帝子・天女神の一対神で、
ウチナンチューの母神とも呼ばれる天女神加那志は、
今帰仁城のクバの御嶽、斎場御嶽のナーワンダーグスク
 に坐すと、これも古くから伝承されたと語り部は言う。

ナーワンダーグスクは、斎場御嶽の拝所 ↓ 寄満
(ゆいんち)の山上に位置。古代の風葬地と伝わる
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 今帰仁「グスクの御嶽」と、斎場「御嶽のグスク」。
 同じ天女神を崇めるものの、聖地としての呼称は逆。
 どうしてそうなったのか? と旅の最中から考えていた。
つまり、御嶽とグスクは、どう違うのだろうかと。

そうして辿り着いた自分なりの結論は、こうだ。
今帰仁城のクバの御嶽と斎場御嶽のナーワンダーグスク
を比べると、古いのはナーワンダーグスクだろう。

なぜなら、ここは天孫氏の母神=天女神の風葬地。
ナーワンダーとはナデルワ(祖先神の霊力)の意味。
農耕時代以前にあったグスク(血族集落・マキョ)の
 腰当森(ふさてぃむい=拝み山)だと伝承されてきた。

時代で言えば、初代琉球国王・舜天即位と伝わる
12世紀末(1187年)以前からナーワンダーはあった。
その巨岩を含む後の斎場御嶽は、村の腰当森だった。


いまは立入禁止となっているナーワンダーグスク。
ナーワンダーグスク登頂(過去ログ)時の写真
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いっぽう御嶽という観念は、琉球王府による歴史書
『中山世鑑』に、「琉球開闢七御嶽」が記されたとき
誕生した。斎場御嶽に↓三庫理、寄満という首里城
 と同名の拝所が設けられたことから、それが分かる。
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 『神と村』の著者・仲原弥秀氏の論文『グシク考』
 によれば、「グスクの本質は聖域であり、その中の
  一部がやがて城塞として発展したのでは…」という。

  今帰仁グスクや勝連グスクなど城塞化したグスクは、
  内部に聖域を持つがゆえにグスクと呼ばれたのだと。

   聖域としてのグスクから、城塞としてのグスクへと
   発展させたのは、各地で誕生した按司(あじ)たち。
    グスクの時代とは按司たちが台頭していった時代…。
 




by utoutou | 2023-03-02 16:35 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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