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グスクの時代〈9〉高麗瓦も出た

名護市屋部地区は、本部半島の付け根の部分にあたる。
嵐山展望台にあった地図で見ると左端(赤矢印で加工)
名護湾に注ぐ屋部川河口から500m内陸寄りのところ。
ちなみに、地図上部の赤丸(私の加工)は今帰仁城跡。

屋部前田原貝塚は、タピックススタジアムのある
宮里3丁目交差点から、海洋博公園近くの浦崎交差点
まで海沿いを走る国道449号線バイパスの下に位置する。
平成のバイパス整備中に多くの遺物が出土したようだ
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屋部遺跡を知った「なごしのいせき展」のポスターは、
旅の初日に行った恩納村博物館で見た。副題が、
〜屋部地区の埋蔵文化財〜とは名護の会場で気づいた
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講演会↑を行った新里亮人氏は、熊本大学
助教授で、『琉球国成立以前の考古学』の著者。
私は喜界島旅行の後、図書館で拝読。参考にして
ブログ「カムィヤキ の用途」を書いていたので、
  ポスターの前で「あ、新里さん」と呟いた(笑)。

それはそうと、氏の前職はカムィヤキの窯跡が
ある徳之島伊仙町の教育委員会勤務で、その傍らで
研究を続けたという。著書によれば、カムィヤキの
 主な用途は、琉球のグスク時代以前にはなかった 
貯蔵器(壺)で農耕との深い関わりが伺えるという。
背景に日宋・日麗貿易の交易集団の存在ありと示唆。
 

そうした移住集団が持ち込んだと考えられている
 中国製白磁・滑石製石鍋・カムィヤキの3点セットは、
生活道具だけでなく、琉球の特産品である夜光貝や
 赤木やクバに対応する交易品そのものでもあったか…。
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ところで、びっくりしたことに
屋部川の河口域では高麗瓦も出土しているという。
浦添城跡や首里城といった大型グスクで見つかる
瓦の破片がなぜここに? と謎めいて記されている。

①交易港があった ②廃棄された ③窯があった
 と、三択の答えが示されているが、はたしてどれか?
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新里氏は、カムィヤキは、北部九州を窓口とした
日宋・日麗貿易を背景に、琉球列島へ移動した陶工
と技術の産物だったと著している。まさかと思うが、
 高麗から来た陶工が高麗瓦も焼いたという可能性は…?
  




by utoutou | 2023-03-18 16:58 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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