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グスクの時代〈11〉伊波普猷の「高麗瓦」

 浦添グスクから出た高麗瓦に刻まれた製造年
「癸酉年」とは何年か? を紐解く学説で、もっとも
 古い解釈は、伊波普猷氏の「1153年」だという。
(『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社)

 伊波氏はその著『古琉球』(初版は明治44年)の
「土塊石片録」に、東恩納寛淳氏と訪れた浦添城跡
で「癸酉年高麗瓦匠造」と書いてある灰色の瓦を
  拾ったこと、それを東京の専門家に鑑定依頼すると、
「鎌倉時代のもの」と言われたこと、そして平安時代
から鎌倉時代に日本から輸入した瓦と判断したこと
  などを記した。日琉貿易は当時から行われていたと。
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浦添城跡を訪れたのは、浦添市民ウォークの日だった
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 伊波氏の「輸入(=交易?)」の発想は魅力的だ。

多くの学者は「高麗人が瓦を持ち込んだ」「製造
技術が伝播した」と分析をするが、たとえば一旦、
九州など日本からの需要で高麗から伝わった瓦が、
琉球特産物との交易品として運ばれた可能性は…?

そう言えば、昨年訪れた太宰府政庁跡の近くの
 観世音寺からも高麗系瓦が出土しているという。

太宰府と言えば、その出先機関が奄美の喜界島
(城久遺跡)にあったことは何度かブログに書いた。
それは、琉球との交易センターとして設置され、
宋や高麗の商人も居住したり活躍していたという。

 この度、語り部は高麗瓦について一言だけ呟いた。
「屋部川から出た高麗瓦はなぜ黒いのか…ですね」

 喜界島からのカメィヤキも、鉄分を含んでいて黒い。
やはり、喜界島・日宋貿易がキーワードなのか?
 しばらくの間は、高麗瓦の謎解きに心を奪われそう。


ところで、あの朝、高麗系瓦が出土した名護市の
屋部川河口付近から、嘉津宇岳一帯を眺めていた。
円錐形をした石灰岩特有のカルスト地形の山々、
その麓には川が流れ、稲作にも好適地だという
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ふと、琉球開闢七御嶽の筆頭として語られてきた
国頭地方最北端の辺戸にあるアスムイ御嶽を思う。
 カルスト地形の辺戸岳にもアマミキヨ伝承がある。






by utoutou | 2023-03-23 16:24 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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