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グスクの時代〈12〉安須森(アシムイ)御嶽へ

3月某日、安須森(アシムイ)御嶽に登った。
沖縄本島北端にある「琉球開闢の御嶽」のひとつ。

きっかけは沖縄学の父こと伊波普猷氏の『古琉球
で、前回のブログに書いた「高麗瓦」を久々に
読み返したことだった。その著書の冒頭に、
「琉球人の祖先に就いて」の章がある(以下要約)。

☆琉球人の祖先は九州から奄美大島を経て来た
☆奄美大島の住民もアマミキヨの後裔と自称する
☆琉球開闢の神アマミキヨの名はそれらを証明する
☆アマミキヨは種族の呼称である

言語研究から「日琉同祖論」を説いた文学博士。
 当然そうなるか…と、以前は軽く読み流していたが、
ヤマトから南下してグスク時代を築いた集団について
 考古学の成果を知ると、的を得ていると思えてきた。

伊波普猷氏は、こうも書いている。
☆アマミキヨ種族は、久高島から知念に上陸した
☆その後、玉城仲村渠のミントングスクに住居した

では、「九州から奄美を経て来たという琉球人
 の祖先」は、アシムイ御嶽をスルーしたのだろうか?
  ということで、初めて最北端の辺戸へと心が動いた。


 登ると眼下に宇佐浜が、右奥に与論島が見える
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思うに、そもそも…
アシムイの御嶽はなぜ「黄金森」と呼ばれるのか?
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いろいろと興味深いことは多いが、とにかく登る。
 登ると言っても、標高240mという一塊の巨岩。
されど、琉球創世神話では最初に神が創ったという
杜にふさわしく荘厳。ちなみに岩々は微動だにしない
グスクの時代〈12〉安須森(アシムイ)御嶽へ_a0300530_13195383.jpg







登りきるのに30分かかった。ウチナーンチュの友人
(女性)がついてきてくれなかったら、転落する
恐怖で、休み休みでなければ体が動かなかった。
 慣れた足なら片道20分かからず登れると聞いたが…。


頂上の手前にある拝所は、黄金洞(ふがにがま)
と呼ばれる。ダイナミックな褶曲に息を呑む。
洞穴は東向きに開口、朝の陽光が降り注ぐという
グスクの時代〈12〉安須森(アシムイ)御嶽へ_a0300530_13195615.jpg







最終コーナーの絶壁では、さすがに足が上がらず
ほぼ四つん這いの格好で、右上方向によじ登った
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頂上に到着。小祠がいくつも立っているが、
神名や由来や建立者については、分からない
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 繋がらないかと思ったスマホ電話が繋がったので、
 語り部に登頂の報告をすると、こんなことを言う。

「登る途中に、隕石が落ちたと言われている場所が
 あると、辺戸岳の麓の宜名真の方に聞きました」
アマミキヨと星…。どんな関係があるのだろうか?





by utoutou | 2023-03-29 21:06 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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