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グスクの時代〈16〉黄金伝説

アシムイの御嶽(国頭郡辺戸)を巡って語り継がれる
という黄金伝説は、4連山の最南にあたるシノクセ
(宜野久瀬嶽)が舞台。写真左の尖っている山にある。

自身の撮影した写真では、全貌を捉えきれなかった
ためnippon.comより写真を拝借。キャプションには
ヤンバルクイナ展望台から撮影した安須杜」とある。


など、諸々な情報を総合すると、4連の山は地元で
左から、シノクセ嶽、アフリ嶽、シジャラ嶽、イヘヤと
呼ばれる。右端奥に写っている稜線は大石林山の一角
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ヤンバルクイナ展望台の西・宇佐浜遺跡近くからの
 アングルだと左端のシノクセはアフリの陰に隠れる
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我々の登ったシノクセが、通称・黄金森と呼ばれる。
国道58号線から分け入ると、すぐに「黄金森」と
刻まれた拝所。その右から、回り込むように登る
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拝所が一対になっているのは、陰陽との位置づけか。
ジグザグな岩道を登ると黄金洞(フガニガマ)に着く
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シノクセ頂上の手前にある黄金洞。見事な
褶曲や稲穂を供えた祠に、ただ目を奪われていた
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このひとつ目の黄金洞を出ると、もうひとつの
洞穴の拝所があり、それも黄金洞だと後で知る
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「こちらは女神様かな」と話しつつ、合掌した
ふたつ目の黄金洞。『沖縄の聖地〜拝所と御願』に
よれば、この戦前まで、辺戸集落のカミンチュは、
一対の黄金洞まで登り拝礼することを習わしとした
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同じ本に、『黄金伝説』のコラムがあった。
〜黄金洞にはノロの玉(宝物)が秘かに隠されていた。
ある時、盗人がその宝を盗み出し、シナ(中国)で
売りさばくために渡航してまもなく大波により
あえなく沈没してしまったという。また、黄金の
隠された洞窟は、夜になると黄金色の光を放ち、
それが麓より見えるという〜

麓というのは、もちろん辺戸集落のことだろう。
辺戸岬の東方3㎞ほど、アシムイ御嶽の北東に位置。

また、『沖縄の古代部落マキョの研究』も記す。
〜辺戸ノロがここ(黄金洞)に黄金を埋めたという
伝説もこの付近に普く(あまねく)伝わっている〜
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その著は、1976年に沖縄県内版が刊行されたが、
国頭郡の辺戸部落について、著者の稲村賢敷氏は、
「アスムイノマク」と記している。「マク」とは書名
にある「マキョ」の転訛で、古代の血族部落のこと。
辺戸部落の別称は、「アスムイノマク」だという。

別の伝承では、太古、辺戸には辺土天孫氏がいて、
今帰仁の北山王となるのは、その広がりだとする。

そして、時は流れ…
「辺戸のアシムイ」に、義本王の隠遁伝説や、
琉球第二尚氏王朝の始祖・尚円王伝説が生まれる。

さらに、時は流れ…
この地に琉球王国の守護神・キンマムンが出現した
と、僧・袋中は『琉球神道記』(1605年)に残した。

最高女神・キンマムンと「黄金伝説」は無縁ではない
と私は考えるが、さて語り部は何と言うだろうか…?




by utoutou | 2023-04-21 10:19 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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