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辺戸岬の御嶽廻り〈3〉尚円王の屋敷跡

高さ80mあるという茅打ちバンタは有名な景勝地。
その南にある↓宜名真(漁港)上の集落から見た光景。

茅打ちバンタ展望台から宜名真港を望む風景は知って
いるが、これは南から茅打ちバンタを望む珍しい構図
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というのも、アシムイの御嶽(辺戸岳)西側の麓にある
宜名真集落には、琉球第二王朝の開祖・尚円王の住んだ
屋敷跡と伝わる聖地がある。『中山世鑑』は、「24歳
の金丸は妻子と弟を連れて、伊是名島から国頭に渡り
2〜3年いた」と、また『琉球国由来記』は「白髪の翁
が用意した刳り船で宜名真に脱出した」と記している。

伊是名島にある若き金丸像は、宜名真を指している
と言われるが、つまり、船を着けるのに適した立地だ。

現在は↓宜名真神社となっている尚円王の屋敷跡。
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赤い鳥居は、近年になり建てられたものというが、
その屋敷跡は「宜名真御殿(うどぅん)」と呼ばれ、
琉球王朝時代から変わらずに崇敬されてきたという。

小祠(写真右)には、ヤマトの神々が祀られている
とのことで、この地とヤマトとの関係が、というより
尚円金丸とヤマト、あるいは大陸との関係が偲ばれた。
実は、尚円金丸は北から来た鍛冶屋(カニマン)の
 関係者だったのでは? と、実はかねてから考えていた。
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「尚円王と義本王が使った川泉と言われています」
と、語り部が神社本殿の奥の湧き水を見せてくれた。

「尚円王だけでなく、義本王もこちらに仮住まいを?」
聞くと、語り部は「はい」と言った。
「どちらも辺戸の佐久真家との間に血縁があった、とも」
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義本王の墓はアシムイの御嶽の東の辺戸集落にあり、
尚円王の屋敷跡は、その西の宜名真集落にある。

代々ノロを輩出したと伝わる佐久真家は辺戸集落に
あるが、尚円金丸が宜名真集落にいたと伝わる15世紀、
この地はまだ辺戸集落の一部だった。※『国頭村史』

というより、この大戦前までアシムイの御嶽…
辺戸岳を取り巻く全域の地名は、辺戸だったのだ。


宜名真集落の共同店の奥に、アシムイの御嶽が見える
と、案内する語り部。指の先に1本の松が立っている。
「昔(戦後)そこには拝所があって、アシムイの御嶽へも
 繋がる山道があった」と言う。いまは失われた御嶽道。
ひょっとすると尚円金丸もそこを登ったのだろうか…?
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by utoutou | 2023-05-01 19:08 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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