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辺戸岬の御嶽廻り〈4〉宇佐浜へ

辺戸岬へ行ったのはGWに入る前の日曜日のこと。
宜名真から辺戸岬へ進んだ私たちの車は、間際で
 ルート58で北上してきたライダー集団に追い越された。
GW後半のいま↓辺戸岬はさらに賑わっているのでは?
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 アシムイを再訪して、宇佐浜を直に感じたいと思った。

1ヶ月前に行ったときは、宇佐浜遺跡から一本道を
進んだ道沿いで海を眺め↓来た道を引き返したものだ
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上の写真は地点から撮影。浜へは約20mの距離感。
道の先には墓地があり、進むのをためらってしまった
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今回は語り部の案内で、道の突き当たりまで進んた。
カミンチュと呼ばれる人たちはここで、辺戸岬と、
アシムイの御嶽に向かって祈りを捧げるという。
背後のアシムイの山から流れた大川がこの海に注ぐ。

ここから小道を降りると宇佐浜に出ることができる
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浜に降りると、顔に、外洋の北風が吹きつける
古来、海人たちはアシムイの山から流れる川を
目印にして航海を終える準備をしたのだろうか
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『宇佐浜遺跡発掘調査報告(1989年、沖縄県教委)』
から地図を拝借。宇佐浜貝塚の最南の地がこちら。
こうして見ると西海岸の宜名真と東海岸の宇佐浜の南、
その2地点が、もっとも琉球への上陸に相応しい地形だ



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宇佐浜の最南から辺戸岬を望む。以前は岬の近くから
も宇佐浜に降りられたと、語り部。いまは不通らしい
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さて、
この宇佐浜という地名の由来は、豊後(大分県)
 宇佐との関わりとして語り継がれてきたと語り部。

もちろん、それは宇佐神宮のある地を指している。
宗像三女神を比売神として祀ると、我々が考える
宇佐神宮の奥宮・御許山と、八重山の於茂登山とは
同じ語源だと、先日もブログ「宗像三女神」に書いた。

豊後海部の一族は、繰り返し九州から南下して渡来、
この琉球の最北端・辺戸岬の高嶺に定着したのだろう。

前回のブログに琉球第二王朝の開祖・尚円王の伝承を
書いたが、伊是名島にいた金丸に、宜名真への脱出を
勧めたあの「白髪の翁」は、宇佐神宮の「鍛治の神」
なのだという見方がある。金丸が鍛治神の守護を受ける
カニマン(鍛冶屋)だったのなら、アシムイの御嶽に
伝わる黄金伝説も、当然の成り立ちという思いがする。
つづく…。




by utoutou | 2023-05-05 18:29 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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