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辺戸岬の御嶽廻り〈5〉火の神(ひぬかん)

辺戸集落、神アシャギの近くに「シバヤー」という
屋号の旧家がある。語り部によれば、集落内で
もっとも古い「辺戸天孫氏」と伝わっているという。

当ブログではやや懐かしい響き…話を聞きながら
「天孫氏は火の一族」と題した、あのシリーズを、
ほぼ2年に渡って続けていたことを、思い出した
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22年1月に「いったん終了」するまで、振り返れば
100 回以上も続いた。奈良や甑島や阿蘇など各地
に出かけて行き、「(生業として)火を追い求めて
 いた古代の金鉱採掘民」の足跡を探していたものだ。

火の一族はメソポタミヤから来たとか、インドから
来たとか、江南から来た、などといったスケールの
大きい伝承を紹介したのだったが、インドと言えば、
まさか、シバ神では? ということで、私は尋ねた。

「シバヤーという屋号の由来は?」
語り部はすかさず、言った。
「シバ神と言われてはいますが、分かりません」

天孫氏。語り部も言う世界を股にかけた海人族は、
琉球を経由してヤマトへ向かった製鉄族・鍛治族。
天体観測に長け、朝廷の日置部となった一派もいた。

 そんな天孫氏シリーズ1回目に以下のくだりがある。
〜アマミキヨのつくった七御嶽には、それぞれに
「太陽・月・星」を祀る磐座(火の神)がある〜

 なんと火の神は黄金森と呼ばれる「アシムイの御嶽」
 の麓にもあった。いわゆる辺戸岳の西海岸寄り、
  辺戸岬灯台の近くに。これには、少なからず、驚いた。

尚円王の屋敷跡から車で数分、道なき道をかき分けて
 着いたその繁みには、3つの威部(いび)があった。

ひとつ目…石と石香炉が安置されている
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ふたつ目…腰を屈めて空間の奥へと進む
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3つ目…石積みの奥は祭祀のための空間のよう
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間隔を空けて配置された3つの威部、「星の御嶽」。
「ひとつ目」に置かれた石は、野球のホームベースを
 逆さにしたような、上部が尖った台形に象られている。

この御嶽は、古来、アマミキヨと呼ばれた天孫氏が、
大陸から南下してつくったものか…と直感したが、
 語り部の説明は、とんでもなく深い時空を示した。
 これは「太陽・月・星」を祀る御嶽の古い姿なのだと。
つづく…。





by utoutou | 2023-05-09 19:49 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2023-05-14 16:18
> 匿名さん
いろいろなコメントをありがとうございます。
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