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辺戸岬の御嶽廻り〈8〉お水取り

辺戸大川(へどうっかー)の「お水取り」は首里王府
の伝統行事だった。国王の年始の儀式「お水撫で」
に使う若水を汲むために、王府の使者が走ったという。

辺戸岳(アシムイの御嶽)を源とする大川(うっかー)
の若水は、国の安寧と王族の健康と繁栄を叶えた。 

その川は辺戸集落を取り巻く宇座原の谷合を流れ
出し、やがて宇座浜から太平洋と東シナ海に注ぐ。
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1ヶ月前の日の午後、
お水取りの清流へは、いったん辺戸集落に登ってから
神屋のある集落のはずれの小道を100mほど降った。

↑写真の地から宇座浜へは1分ほどで降りられるのに、
集落の向こう側は、もう「やんばるの森」への入口
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明治期の廃藩置県後も辺戸から尚家への献上は続いた
ものの、大戦で途絶えたこの行事は、しかし1998年
に復活したという。2017年12月に行われた「お水取り」
の画像は『沖縄タイムス』より拝借。神人らの行列が、
厳かに、集落内の神屋と大川を往復する様子が分かる
辺戸岬の御嶽廻り〈8〉お水取り_a0300530_12342629.jpg








「辺戸大川は、集落から川に降りたところで合流する」
と、語り部が言っていたが、なるほど、来てみると、
 写真左(西)からの辺戸大川と、右(北)からの
アフリ川の流れが、いま立っている足元で交わる。

「お水取り」行事が復活して以来 ↓この合流地点が舞台
となっているが、古くからの聖地は辺戸大川だという
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数分ほど大川を遡ると、その聖地に行き着いた。
この拝所でお参りの後「お水取り」を挙行したという。
拝所前にあった立派な石垣は、崩れてしまったらしい
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野面積み…。巧みな石の積み方に見入った。美しい。
上に見える石造りの祠は、アシムイ御嶽へのお通しか。

古いグスクでは、何度か見た野面積みだったが…。
またこちらの石積みが、どの時代に造られたかについて
は分からないが「野面積みをしたのは新しいアマミキヨ」
と、私自身が以前から感じていたことを思い出した。




by utoutou | 2023-05-29 17:36 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2023-06-02 09:15
> 匿名さん
鹿児島県の久志は坊津にありますね。唐人村があったようですので、交易港だったのではないでしょうか。名護市の久志との関連もありそうですね。私などは、久志を見ると櫛稲田姫の櫛を思い出します。あるいは、奇し。それでヤマト的な地名・人名と思いがちでしたが、久志按司は天孫氏の家系とか。興味深いですね。
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