辺戸岬の御嶽廻りの旅ログも、終わりに近づいた。 一応、語り部と共に参った場所は綴ったつもりだ。 いまは辺戸岳の山並みをシミジミと思い出している ![]() 思えば、あの日、語り部の話で印象に残ったのは、 アシムイの御嶽を踏破したときのエピソードだ。 「辺戸岳は、鞍部が4つある連山ですから、昔一度 尾根伝いに歩いたことがあります。平坦ではないので 南から北へ、登り降りしながら4時間ぐらいかかった」 そうかアシムイは連山で歩けるのかと、感動した。 風を受け古生代の山を往く、眼下にやんばるの森… ![]() 語り部の話は山岳信仰の修験者のようだったなと 思いつつ、辺戸が琉球開闢の御嶽である意味を考えた。 奄美諸島の西を通り北から来た(と何度か書いた)今来 のアマミキヨは、どうやら山岳信仰を持つ海人族だった のではないかと、最近は真顔で思うようになっている。 それは、 PCのデスクトップに、アシムイの御嶽の頂上からの ↓こんな写真が残っていたりするからなわけだが… ![]() あるいは、辺戸の地質図をブックマークしていたり、 机の上に『中山世鑑』のあるベージをプリントアウト したものを置きっぱなしにしていたりするからか。 そのページとは、 他でもない『中山世鑑』の巻一「琉球開闢之事」 にある、アマミキヨに関する伝承のあのくだり。 意訳すると、〜(阿藦美久は)まず一番に国頭に 辺戸のアシムイを、次に今鬼神ノカナヒャブを、 次に、知念森、斎場嶽、藪薩の浦原、次に玉城の アマツヅ、次に久高コバウ森、次に首里森、真玉森、 島々国々の、嶽々森々を、作った 〜 時々、琉球開闢の御嶽のどこかに思いを馳せている。 なかでも、薮薩の浦原、知念森、久高島、玉城城など、 本島最北の辺戸岬からは遠い、南部の「嶽々」に。 薮薩(やぶさつ)の二文字が、妙に気になっていた。 「ヤブサの神」について、いま腑に落ちる思いがする。 ヤブサとかヤボサは、大陸から東シナ海を南下した アマミキヨ族の信仰だったのではないだろうか…?
by utoutou
| 2023-06-03 06:31
| グスク・御嶽
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Comments(1)
> 匿名さん
いつもコメントをありがとうございます。 薮薩の浦原は、ヤハラヅカサ一帯のことで、薮薩の御嶽の崖は崖葬古墓群と言われています。ミントンのアジシー(古墓)もあり、クルク(風葬の場)とも呼ばれていたようです。石テーブルのある先端は、久高島への遥拝所ですね。近々また、ヤブサ、ヤボサ、についてはブログに記したいと思います。いま甑島や壱岐の島で聞いたヤブサ神やヤボサ神社について、思い出しています。
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![]() by utoutou
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