人気ブログランキング | 話題のタグを見る

黒潮の民〈1〉天女神加那志

ヤファシの御嶽に参って、かれこれ10年になる。
当時のブログ「アマミキヨがつくった御嶽」を
久しぶりに読んで、もうそんなに経ったか…と驚く。

それは、アマミキヨが造った御嶽の一つと琉球王府が
 正史に記す薮薩の浦原(やぶさつのうらばる)にある。
ちなみに、藪薩はウチナーグチでは「ヤファサチ」
と発音する。「ヤファシ」と、とてもよく似ている
黒潮の民〈1〉天女神加那志_a0300530_13531645.jpg







薮薩の浦原のなかでも、ヤファシの御嶽は、地元で
「ウサチ・ミントン」「古島」と呼ばれてきたという。
古代の住居跡であり、旧アマミキヨ族の風葬墓だった。

ちょうど沖縄にいたので、ヤファシの御嶽へ向かった。
薮薩の浦原という聖所の縁に降り口はある(写真再掲)
黒潮の民〈1〉天女神加那志_a0300530_15580255.jpg







御嶽といっても岩を登るのではない。薮薩の御嶽から
ほぼ直角に降りた崖の中に、忘れられた拝所はあった。

拝みが終わると、北の方向を見つつ語り部は言った。
「この御嶽は、斎場御嶽に向いていると思います」
そして、神女のウメおばあが残したという話をする。
「ここを拝まなければ、ミロクの世は開かない」と。

ブログには、その言葉に対する私自身の解釈を記した。
アマミキヨが上陸した足跡を正しく悟らなければ、
 祖霊を祀ることにならないと、ウメさんは言った

それをしてもなぜ、斎場御嶽の方角を向いているのか?
理由については語り部に聞かずじまいになっていた。
※斎場御嶽と藪薩の御嶽など史跡マップはこちら

先日、ふと思い出した。
斎場御嶽には航海の守護神が祀られていたのだったと。

斎場御嶽の奥宮とも言われるナーワンダーグスクは、
イキガ(男)ナーワンダーとイナグ(女)ナーワンダー
という2つの巨岩から成り立っているが、ちょうど
その真下に、斎場御嶽の寄満(ゆいんち)はある。

琉球王朝三代の尚真王は、妹である聞得大君に隣席、
寄満で八重山遠征する兵たちの航海安全を祈願した。

イナグナーワンダーグスクに祀られていたのは、
聞得大君に霊力(しじ)を授ける女神。神名は、
天女神加那志(てんじょしん・がなし)という。
それを知ったときのブログはこちら

ところで、
語り部に初めて会った頃、聞いてみたことがある。
「薮薩の御嶽のヤブサツって、どんな意味なんですか?」
語り部はこれもウメおばあから聞いたと教えてくれた。

「ククルヤファヤファ…だと思います。船が百名の海岸
近づき、アチヌー(明澪)に入ったとき、心穏やか
にして“ここが永住の地だ“と知った…という意味です」

こちら 海中に立つアマミキヨ渡来の碑・ヤハラヅカサ
黒潮の民〈1〉天女神加那志_a0300530_06583295.jpg




黒潮を渡り来た民に、天女神加那志の祝福が届いたか?
「ヤファサチ」とは、航海を守護して、海人に心の平安
をもたらした女神を崇め、そう謳ったのかもしれない。

ちなみに琉球王朝の初代王・尚円の出身地・伊是名島
の諸見にも、ヤブサスの御嶽があるということを
最近知り、私の心は騒いでいる(笑)。というわけで、
ブログ最終章になるかもしれない新シリーズを始める。

by utoutou | 2023-06-12 20:45 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 黒潮の民〈2〉薮薩(ヤブサツ)の真実 辺戸岬の御嶽廻り〈10〉新アマ... >>